『講義で学んだ内容を覚えたり定着させたりするのは講義以外の勉強で量としてはそちらの方が多い。そちらがぱっとしないとまじめに受講していても成果にはつながりにくい』、そうなのである。これが由々しき問題なのである。
この定着させる勉強というのに取り掛かるのに苦痛が伴うのである。
教室講義、或いはDVDの視聴は始まってしまうと一定時間半ば強制的に自分を勉強状態にできる。
しかし自主的に定着させる勉強は机には向かっているけれど何もしていない状態になりやすい。聴講していても同じ状態にはなるが客観的に見れば少なくとも聴講はしている体裁はとっている。
この定着させる勉強でぼんやりしている状態をテンションが上がらない状態、と称する人が多いのではないだろうか。
勉強に取り組む事の苦痛とテンションが上がらない事は似て非なるものだと思う。新規顧客と新規顧客層くらい違うと思う。
はっきり分けて考えないと正しい対策がうてない。
結論から言えば勉強にテンションの高い低いは関係ないし、勉強に苦痛は伴なって当たり前なのだ、だからこそ学問をおさめた人はその苦痛を克服したという部分に敬意を評されるという一面があるのだ。
テンションが上がらないがどうしたらよいか、と人に相談する事は野球部のきつい練習は勘弁してほしいが甲子園に出るにはどうしたらよいかと相談しているに等しいだろう。
高校野球の経験はないけれど甲子園に出場している選手でも練習が好きで好きでたまらない、という選手はおそらくいないだろう。
努力しても覚えられないという苦痛を克服しながら、ではどうやったら覚えられるかを工夫するのも勉強でそれを行った者にこそ国家資格が与えられるのだろう。