北方領土への道 さらば 日本領土 さらば 北方4島
∴日本の領土 でありながら、日本人が立ち入ることが出来ない島。 北方領土。自然に恵まれた豊かな島々- 北方領土の島々には、キタキツネ、ゴマフアザラシ、オットセイ、トドなどの他、国後島、択捉島は森林資源に恵まれていて、ヒグマも住んでいる。また、エトピリカ、エゾライチョウ、オジロワシなどのめずらしい鳥も多い。 周辺の海は暖流と寒流が交わっていて、世界の三大漁場のひとつに数えられる。 特にサケ、マス、タラ、タラバガニ、ハナサキガニ、昆布、ナマコ、エビ、ホッキ貝、ホタテなどの宝庫である。S14年の漁獲高は 215,865トンに達し、金額で今の価格に直すと100億円を越える。 冬は北海道内陸部より暖かく、夏は涼しい- 北方領土というと厳しい寒さを想像するかもしれないが、海流の影響を受けるため、2月の平均気温がマイナス6度前後と、北海道の内陸部より暖かく、雪も少ない。 夏には海霧(ガス)がかかって日照時間が少ないことや、オホーツク海から冷たい空気が入ってくるので、いちばん暑い8月でも平均16度である。素晴らしい自然でしょう 出生率も増加 休みはいつもこれさ∴NHKスペシャル 北方領土 解決の道 はあるのか北方領土返還交渉…かつてない厳しい状況下で日本外交が動き始めた。 ロシア政府の投資で島は潤い、かつて日本の援助に頼った貧しい姿はすでにそこにはなかった。 そして去年11月。メドベ-ジェフ大統領が国後島を訪問、実効支配への強い国家意思を見せつけた。 占領から66年、返還実現の最大のチャンスは、ソビエト崩壊で島の疲弊が進んだ時代だった。しかし、歴史の正義を求める思いと、ロシアを動かす現実的な外交戦略との間で日本は揺れ動き、交渉は毎回暗礁に乗り上げた。そして現在。ロシアは自国経済の躍進とともに日本への関心を低下させ、北方領土問題解決の意欲も遠のきつつあると言われる。 日本に、まだチャンスはあるのか? 民主党・前原外相がロシア訪問を計画するなど、政府は“メドべ-ジェフ・ショック”を機に再び動き始めた。 島を追われた元島民はすでに平均年齢77歳。残された時間が少なくなる中で“固有の領土”返還を求める日本にどんな戦略が必要なのか?私自身があの島で生まれ育った者ですから、なんとしても帰るお互いが知恵を出して もっと良好な雰囲気の中で話したかった元外務審議官(1997-1999)丹波 實(たんば みのる)領土問題というのは「国家の柱」ですよ!「国家の座標軸」ですよ!これを簡単に手放す国というのは!軽蔑される!北方4島は、父祖伝来の地でだよ!いままでどっこの国も領有したことの無い、日本固有の領土ですよ!平和条約の中に!今でも!ロシアは!日本は!北方4島に!主権を持っていると!書くんですよ!∴北方4島 略史1798 近藤重蔵が最上徳内とともに択捉島に渡り、択捉島に「大日本恵登呂府(だいにっぽんえとろふ)」と書いた標柱を建てる1867 江戸幕府が滅び、明治政府が誕生1855 日露通交条約締結 択捉島とウルップ島の間に国境線が引かれる 樺太においては国境を設けず、これまでどおり両国民の混住の地とすると決められる1875 ロシア政府との間に「樺太・千島交換条約」が締結される 樺太全島をロシアに渡し、「千島列島および北方領土の全部が日本の領土」となることが平和的に確定1880 色丹島・国後島・択捉島に村役場が置かれ、行政組織も確立される1904 日露戦争 朝鮮半島領有権をめぐる戦争に勝利1905 ポーツマス条約 日本はロシアから樺太(サハリン)の北緯50度以南の部分を譲り受ける1941 日ソ中立条約締結 相互不可侵および、一方が第三国の軍事行動の対象になった場合の他方の中立などを定めた全4条の条約1945 大東亜戦争終結後 ソビエト軍が、戦後のドサクサに紛れ「日ソ中立条約を無視し」樺太(サハリン)及び千島列島に侵攻、北方4島も含め占領される 日本軍の約60万人が捕虜として捕らえられ、「シベリアに抑留」され、その後この約60万人はソビエト連邦によって過酷な環境で重労働をさせられ、6万人を超える死者を出した 日本は、欧州戦線でソ連と戦闘中の同盟国(三国同盟)ドイツからソ連を背後から攻撃するよう強く要請されていたが、「かたくなに日ソ中立条約を遵守して」ドイツの要請に応じなかった それに対しソ連の対日攻撃は自ら批准した日ソ中立条約を無視した暴挙であった ソ連軍は、「米軍が来ていないかどうか、住民に聞きながら侵攻した」という1947 樺太(サハリン)、北方4島の残る住民すべてが強制的に日本本土に引き揚げさせられる → 樺太(サハリン)、千島列島と北方領土が一方的にソ連に編入される1951 日本が「サンフランシスコ平和条約」に調印し、樺太(サハリン)、千島列島を放棄 しかし、ソビエト側はこの条約に署名していない1956 日ソ共同宣言 日ソ間で平和条約が締結されず、歯舞/色丹に関して、将来平和条約が締結された時に引き渡す宣言が為される1960 日米安保条約締結 ソビエトはそれに反発、日ソ共同宣言は無効化され、返還交渉は頓挫する戦後のドサクサに紛れ ソビエト軍が、樺太(サハリン)、千島列島、及び北方4島 に侵攻↑↓赤い部分が、樺太・千島交換条約後の日本領∴ロシアに 北方4島は不要 であるかつて、北方4島には、17,291名もの日本人が暮らしていた しかし、ソビエトの占領により、島を追われ、それから60年余り、元島民たちは今も故郷を想い続けている。 1991年のソビエト崩壊後、ロシアは深刻な経済危機に見舞われていた。 北方領土では人口が激減、その生活をようやく支えたのは日本からの人道支援物資だった。 人々の間では、日本への返還に賛成する声さえ上がるようになった。そして 1998年の橋本×エリツィン会談にて、日本は4島一括返還に最も近付いたと言われる。 橋本政権は、「経済協力と引き換えに」返還の時期には拘らず「4島一括の日本の主権をまずロシアに認めさせ」一方でロシアによる統治を認めた。 エリツィン大統領は身を乗り出し、「非常に興味がある」と述べ、日本は譲歩しながらも主権の所有を貫いたが、当時の側近は、「4島を返却すれば、国内での対立が深まり、当時の政権が危機的な状況になることを予測」し、エリツィンに思い留まらせる。 結果、経済危機に瀕するロシアに対しても、返還には至れなかった。∴北方領土への道 4島追うもの、1島も得ず日本は1950年代、2島返還で決着を計ろうとしたことがあった。 それに対しソビエトは、歯舞と色丹のすべての住民を転出し無人島にしたが、東西冷戦の中で日ソの接近を危惧した米国が「それなら沖縄を日本に還さない」との意思を表明し、それ以後日本は米国の意向を汲み、4島一括返還の姿勢を保持することになる。その後、外務省欧亜局長(1999-2001)東郷和彦氏と鈴木宗男氏が、「日ソ共同宣言に基づき」4島一括という枠組みから脱することで局面を打開しようと試みる。 何をテコにしてロシアを動かすか。「自分が不愉快だ」って気持ちだけ言ったら、永久に北方領土は還って来ない。 国民の世論が、いつまで4島一括返還を追い続けてくれるか、なんで自国領土の返還を、不正義を犯した国に対して頭を下げて頼む必要があるのか、その気持ちを持つのは当然だが、その気持ちをぶつけて領土は還って来るのか、その時の国力や情勢を鑑みて考えなければならない。 空想的なことを何度言っても進展は無い。ロシアは「段階的な話し合いには応ずる」というのだから、まずは、2島返還を推し進め、加えて国後/択捉に関しての交渉を行い、最終的に4島返還を目指す「並行協議案」を推すべきである。 さすが、策士・鈴木である。2001年当時、プーチン大統領は、日本の経済支援に期待していた。「日ソ共同宣言の遵守は、ロシアにとっての義務だ」とまで言っている。 「ロシアが2島返還の意思を表明」これはきわめて異例な態度であったが、日本の政権及び世論は、「4島一括返還案からちょっとでも離れると国後/択捉を全部失う」という恐怖感に支配された。 それは逆に言えば「一括返還案から離れても交渉が出来る」という「想像力の欠如」だった。 2002年 鈴木宗男氏が斡旋収賄の疑いで逮捕 東郷氏も「外交を混乱させた」との理由で免職となり、並行協議案は挫折した。 この事態にロシア側は「呆れ」交渉しようという意欲を失った。「日本側には真剣味が無い。 日本は 最善の結果が約束されていないと交渉すら始めない」日本国民は幼稚な国民である。こんな国家は相手にされない。 その後、ロシアは着々と国力を整え、一方日本は、総理大臣も外務大臣も次々に交代していくという政治状況が続く。 そして2004年以降、プーチン前大統領は、北方4島を戦略的重要地域と認識し、加えて膨大な地下資源、海産資源も有することから実効支配強化に努め、2007年から「クリル社会経済発展計画」を実施、人口2万にも満たない北方領土におよそ「500億円もの」投入を行った。∴ロシアによる 拉致 は継続されるロシアは北方領土を我が物として、日本の漁船が近づくと、領海侵犯と密漁の疑いで拿捕(だほ)する。 1997年まで拿捕された漁船の数は1,306隻、拿捕された人は延べ9,274人を数えている。 拿捕されると、短くて3ヵ月、長い時は4年の刑罰を受け、船体、漁具、漁獲物の一切を取り上げられ抑留される。 残された家族も収入が途絶え、文字通り、家族の生活は崩壊する。 それに対し、日本政府は何の対処もせず、被害者はどんどん増加していく。 これは、明確な拉致被害である。∴領土問題 解決ロシアは他国との間にも領土問題を抱えている。 そしてこの10年で、少なくとも8カ国と国境線の確定で合意している。 特に中国とは、ソビエト崩壊後、国境の確定作業が本格化していた。 1969年 中ソ国境紛争。中ソは領有権を巡り烈しく武力衝突し、戦争への危惧が高まった。 かつて、ロシアと中国との間には、不信感しか無かった。しかし、中国が「軍事的、経済的に大国化する中で」手を結ぶまでに至った。 国境を確定してからロシアと中国は合同で軍事演習を行うまでになった。領土問題解決によって、ロシアはアジア地域での安定を手に入れ、経済的な結び付きも、かつて無く強まっている。 両国の貿易額は、2004年以降、5倍に膨れ上がっており、ロシアから中国に輸出される原油は、今年一気に倍増する。 中国の富国強兵策の成功が、両国の協調に役立ったわけだが、では「日本の富国強兵策」は進展しているのか。 与党・民主党・共産勢力が、「科学技術費の削減やバラマキ政策をはじめ国益に反する政策」を次々と実施しているのはもう国民も気付き始めている。中国に最優先で売ります 中国抜きでは生活が成り立たない 中国人と安心して付き合えるわ中露合同軍事演習での胡錦濤とプーチン 胡錦濤は、チベット民族虐殺・侵略の首謀者として知られる∴日本に 打開策は あるのか昨年11月、「ロシア投資促進会議」が開かれた。 これは、極東への投資を呼びかける国際会議であり、そこに14社が招かれ、日本からは、最も多い5社が招かれていた。 ロシア側はこれまでも「政治ではなく経済からはじめて行こう」と繰り返し述べて来た。まずは、主張の隔たりが少ない分野から協力関係を築くべきである。というのは正論である。しかも、実際に、ロシアは日本の技術を求めている現状がある。打開策はあるが、それを生かすことが出来ない稚拙な日本政府のこの現状。 そして、大日本帝国の大和魂が失われた、「骨抜きの経済的にも斜陽の日本国が」他国に相手にされず領土を奪われるのは真に当然である。 では、何故、大和はここまで落ちぶれたのか。それは、そのように仕向けた国家と勢力が暗躍しているからである。その「工作」を封じない限り、日本は今後益々堕ちて行く。 戦後66年、元島民たちは、「私たちには時間が無い こんどこそ」との想いを秘めるが、他国の躍進の前に、相対的に日本の存在感は薄れている。 故に、「北方領土上陸/アザラシと遊ぼう3泊4日ツアー」は、永遠に実現することは無いだろう。大和魂は消滅した。 さらば 日本領土。 さらば 北方4島。東日本大震災 KARA最新情報 口蹄疫 尖閣義士・sengoku38 GHQ 管直人 在日 斎藤佑樹 ルーピー 鳩山 蓮舫 仕分け 中国共産党 侵略 チベット 尖閣義士・sengoku38 ウイグル 民主党 口蹄疫 虐殺 尖閣諸島 テロ 管直人 AKB48 千葉景子 福島原発は人災 韓国 ぺ・ヨンジュン アグネス・チャン ← 1クリック毎に、カルト組織や中国共産党に バズーカ砲弾が1発打ち込まれます。にほんブログ村