ここ最近
子育て真っ只中の
ママたちと話していると、
ふと
甦ってくるシーンがあります。
自閉症の次男が
地域の保育園に入る、以前のことです。
成長の遅れが心配な次男と
アトピーがひどくて
夜眠れない三男の子育てに、
当時、私は精魂つきてました。
三男をおんぶして
多動の次男の手を握り、
長男へは「離れちゃいけん❗」と言って
側にいるようにしつけ、
髪振り乱して
買い物へ出かけていくような
そんな生活をしていました。
出かけられるから
まだましなんですけど、
家に居たら
おかしくなりそうで、
田舎の風土に慣れず、
気が休まらない状況でした。
そりゃもう
顔はけわしく、
悲惨なもんです。
知らない年配のおばさま達から
「がんばりんさいよ。」と
よく声をかけてもらってたな~。![]()
後の話ですけど
当時、ドラッグストアで働いていた
知り合いの方が、
教えてくれたんですが、
「子どもを大きな声で怒る
お母さんの声を聞いて、
同僚と、
『あんなに怒らんでもいいのにね~』
と言いながら
そのお母さん見たら
あなただったのよ。
」 と。
あの頃の私を夫は
「迫力あったよ」
と苦笑いして言ってましたが、
そう、
私はもうギリギリ、
崖っぷち、
限界でした。
ある日、
息子たちが風邪をひき
3人を小児科へ
連れて行ったときのこと。
人気の小児科で
待ち時間が2時間かかり
やっとのこと帰って
次男に薬を飲ませたら
べーっと吐いたんです。
キレるって
こういうことなんですね…。
薬を吐いた次男のほっぺを
パチンと叩きました。
泣き叫ぶ次男を見て、
はっとし、
震えが起きて、
台所で泣き崩れました。
このままだと
子どもも私もつぶれてしまう。
そう感じた私は、
その時通っていた
広島市北部療育センターの先生に
(障害や発達に遅れのある子供たちが
通所するところ)
助けを求めました。
「先生、もうだめです私。」
助けを求めるにも
勇気がいるとかなんとか
言いますが、
勇気というよりも
母の「勘」です。
北部療育センターと
繋がってなかったら
どうなってただろう…。
先生はすぐに動いて下さって、
地域の保育園へ
入園できました。
障害という言葉の重みよりも
日々の生活の方がどん底で
いまだに「障害」という言葉に
そこまで引っ掛からない私、
逆に障害者手帳で
保育園に入れて、
命が救われた感じです。
だからか~。
そんなに「障害者」とか「障害」とか
そこまで気にしないんだ。
そこから少しずつ
自分を取り戻していきました。
「助けて🆘」って
いつでも言えるように、
誰かと繋がりをつくっておくことは
とても大切に思います。
私は実家の母に
子どもを預けることはできましたが、
自分の本当の気持ちを
打ち明けることは出来ませんでした。
心配させたくない、
弱音を吐かず
気丈に振る舞っていました。
生きていく上で
孤独を感じなければ
大概のことは
なんとかなる…。
コロナで
お出かけも減り
コミュニティも
様変わりしてますが
それでも
顔と顔が分かる繋がりを
持つことは大切ですね。
次男がこの絵を描いた3日後に、
安倍元首相が銃撃され、
今の世相を敏感に感じとる
次男のセンサーに
ドキッとしています。
孤独で心が荒まないで。
助けて🆘って
言ってもいいんだよ。
そんな言葉が
頭のなかで
ぐるぐる回っています。
不思議なんですけど、
このギリギリの時の話、
こうして昔話を終えてしまうと
すぐに脳は
そのシーンをシャットアウトさせ
すっかり忘れてしまいます。
忘れる技をもっていると
生きやすいです。(笑)
今日もブログにお越し下さり
ありがとうございます💓

