馬鹿を忘れない

馬鹿を忘れない

馬鹿の行動の記録

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吉日。

 

サボリにサボったブログを久しぶりに再開。

 

書く事は割と色々あるのだが、それを羅列しては芸がないので(もともと文才は無いが)

あらためて人様の目にかかっても耐えられる位の文章を書こうと思う。

 

新しい職についてからしばらく経つのだが、新しい目標ができた。

前々から考えてはいたことなのだけれど、いざ実行となるといかんせん浮き足立っているような感じがしなくもない、ただ、やることは山積みなので時間を無駄にしないように心がけねば。

 

と、霊能力者もびっくりするほどの抽象的な事を言っているが、あまり具体的なことを書いても何があるかわからないこのネットの時代、ふわっとした文章をヌルッと流し読みしてくれる程度で良い。

 

こうやって文章を考えていると、実にとりとめのない文面になっている。

ということで、ここからは私が何故下手なのに文章を書いているのか、ということについて語りたい。

 

少し話は変わるが私が好きな作家は寺山修司やつかこうへいなどの演出家だったり敬愛している志磨遼平、さらには志磨遼平が敬愛する太宰治などである、要するに私はガチガチの読書があまり得意では無い。

 

というと、誤解されるのであえて付け足すが、好きだが得意ではないということなのである、目で追うスピードと理解するスピードが恐ろしい程にズレているのである、しかしそんなことをきにしていては書など読めないので、なんとか必死こいて電子辞書で単語の意味を調べたりしながら読んでいると一冊の文庫本に一ヶ月かかっているなどということもザラである。

 

文学書を一日で一冊読めてしまう人の頭の構造はどうなっているんだとつくづく疑問に思う。

ましてや古ければ古い文章などほぼ古文なのであって一行理解するのになかなかの時間をようしてしまい、終いには一ヶ月のインターバルをはさんでしまいまた最初から読み直さないと内容が思い出せないところまでリセットしているのだから救いようがない。

 

と、これだけ読むということが不得意な奴に文章が書けるのだろうかという疑問は当然ついてまわるのだが、私が書を読むのは読む力を付けるためでもあるし教養を深める為でもあるのだが、何よりも、文章を書けるようになるために優れた文章を読んでいるということが大きいと思う、よって今日も明日も書を読むのです、こんなネットの時代でもアナログ性は大事にしないとね。