今日は、お昼過ぎに起きた。
目が覚めて、祖母について現実を受け入れるのが辛かった。
このような状況になって知ることが色々ある。
わたしは今まで、人と会う時は気を使わなくてはいけないと思っていた。
わたしが綺麗でないといけない。
わたしが可愛くないといけない。
気のきいた会話をしないといけない。
わたしが大人なら年齢相応の立派なキャリアがないといけない。
できるだけその場に集中しないといけない。
そういった思いにとらわれて、その場にいづらかった。
しかし、今回のことで実感した。
ただそこにいることの価値を。
何も話さなくて良いので、その場にいることの価値を。
どんなわたしでも、ボーッと他のことを考えているとしても、そこにいる意味を。
できるだけその場に気を使うことにこそ意味がある、という意見もあるかもしれないが。
これも今回感じたことだが、色んな意見があって良いと思う。
人は1度でも自分の見方や感じ方、意見を否定されると、どちらかが優先されるべきだと考えてしまう。
しかし、何が正解で何が間違っている、というものはないと思う。
それが自分を他者を受け入れることだと思う。
もともと、わたしの家族はそんなに気を使い合うような関係ではない。
両親とも宮古諸島の小さな島の出身で、家同士が近いということもあると思う。
わたしは、わたしの弟たちと上手く口がきけない。
場を和ませるような会話は殆どない。
楽しい会話を気を使わなくても自然にできてしまう家族もいるかもしれないが、わたしたち家族はそうではない。
それを他のグループでもやってしまっている。
あまりコミュニケーションが得意ではない。
これからは、会話がなくても良いから、もっと長く家族のそばにいたいと思った。
わたしの両親と一緒に、祖母の容態についての説明を聞きに行った。
今回の祖母の病気は胸部破裂だったらしく、98歳の祖母より若くてもタイミングが悪ければその場で亡くなっている人もいるという。
祖母はもう1年生きられる見込みがあると言われた。
今の時点では退院してもとのグループホームに戻る方向で話が進んでいる。
病気が治るわけではなく、いかに悪化させないかが今後どのぐらい生きられるかだと思う。
わたしは退院できるという話は決してないと思っていたので、そういう話が出ただけでも嬉しかった。
今日はリモートではなく、直接面会することもできた。
これからどうなるか分からないが、祖母が1つの苦境を乗り越えられたことはまぎれもない事実だと思った。
鼻や胃からチューブを通す措置もあるらしいが本人にとってツライのでそれはしないで、
点滴をしたりできるだけ口から食べ物をとるなどして自然に安らかに息を引き取るのが家族の望み。
今の時点で1度苦境を乗り越えた祖母だが、いつ容態が急変してもおかしくはない状態らしいので、わたしの中で心の準備はしていようと思う。
うるかそば、という沖縄そばの店で両親と夕食をとった。
今日はバレンタインデー。
祖母や家族たちへの思いを伝えたい。








