人間関係で演技をしている人っていると思う。


嘘つきと一括りにして言うこともできるが。

悪気があるわけではない、そういう自覚がない。

無自覚に演技をしている、という言い方がピッタリかもしれない。


演技なので心が込もっているのだが、それは役で、その人自身の心とはまた違う気がする。

そういう人に知らず知らず心が依存してしまうと大変なことになる。

なぜそうなるかというと、相手がどこか包容力を武器にするからだ。


本当は包容力はない。

温水に浸らせて満足させるだけ。

その間に実は本物を奪われている。

実質嘘をつかれても、相手を理解できないこちらのせいになる。

大人のくせに賢い判断力を持たないで自分に流されるほうが悪いとされる。


わたしが見ていたのは、その人ではなく、その人の役なのかもしれない。

となると、こちらはその人に合った役にならなくてはいけなかったのかもしれない。

その時に必要なのは、常にその人に流されない独立した心。

人間関係ではどうしても影響を受けるので、自信がないとか自立していないとか、そういうのとは違うと思う。

それがあれば、そういう人を上手く対処できる気がする。


間違ってもその人ワールドを居場所にしてはいけない。

仲良くしようと自ら作ってもいけない。

その人とのワールドは決してわたしの居場所ではない。

わたしがそう思っているからといって、相手もそう思っているとは限らない。

そういう空気を作っているだけかもしれない。


相手の言動に右往左往させられてはいけない。

相手がその場その場で、味方のようで敵のようなことを言ってこようと、常にニュートラルでいなくてはいけない。


ここでは旦那について言っているわけではない。

仕事について言っているわけでもない。


これまで単なるプライベートで関わりのあった何人かを思い浮かべているが、仕事の関わりだとしても同じことだと思う。

仕事の役割を担うことと、わたしがここで言う演技をすることは別だ。


話はそれるが、

文章には、その人の人柄の1部が確実に表れると思う。

普段は表に出ていないその人であるとか。


なので、ラインやメール、twitterやInstagramの呟きであっても深読みするのは間違ってはいないのかもしれない。

ブログの記事もそうだ。 


その人が何をどう言っているか、snsを通じて周りの人たちとどう関わっているか。

そこに誠意はあるのか、単に自分優先なのか。

良いところ取りして逃げていないか、自分の責任まですべて他の人たちになすりつけてはいないか。

色々分析しても良いと思う。