来年のチャレンジに向けて、今から準備を始めたいと思っています。


来年は色んな意味で「踏み出す年」にしたいと考えています。


今週末はまた栃木に行く予定です。

旦那のご兄弟がまた中国から一時帰国するのです。


人参グラッセを作りました!



沖縄から送られてきたヘチマを使って、
旦那がナーベーラーチャンプルーを作りました!


ナーベーラーの味噌汁を作りました!


図書館でこちらの本をかりました。


↑台湾でスイーツはあまり食べなかったので、家で作ってみたいです。

話は変わります。


そこまで決めつけるのはおかしくない?

と思うことってあります。

わたしを褒めたり好意を示したりする人の話をしたら、

「適当にあしらわれているか、からかわれているか、可哀想に思われて優しくされただけなのにそんなことで勘違いして喜ぶのはおかしい」

と言う先輩方がいます。


わたしはそんなに要らないゴミのような存在なんですか?

そんなふうに扱われてはいませんでした。

「そんなことで勘違いしておかしい」こともあるとは思いますが、

「勘違いしたとしてもおかしくない」こともあると思います。

相手が何を思ったかは知りませんし、相手に何を言われたか1から10まで話していません。

それをなぜ、こちらがおかしいと決めつけるんでしょうか?


人それぞれ似ているようでも特別なところや優れているところはあると思います。 

単にその人の立場で見下すのはおかしいと思います。


わたしは、相手が友達なら褒められたからといってその人にお金をあげません。

相手がスタッフなら褒められたからといってその人の給料を上げません。 

そういうことを要求されたこともないですし、要求したこともありません。

今までずっとそうでした。


褒められたことでお金も時間も損したことはありません。

その人の周りが煩くて心が削られたことや、そういう状況でのその人の対応のなさにガッカリしたことはありますが(その人自身は何も言わないで他の人がその人を代弁して言うような形になっている)、

その人とは全く関係ないわたしのやりたいことまで犠牲にしてはいません。 

それはそれ、これはこれ、と区別して動いています。

それをまるで搾取されたかのように言うのもおかしいと思います。 


他人についてそういう話をすることじたい、侮辱か名誉毀損で訴えられてもおかしくはないと思います。