当ブログは、自閉スペクトラム症の当事者である僕が、いつも見ている世界をできるだけ詳細に言葉にしていくことで、皆さんに他者の価値観を鑑賞していただく試みです。

どうもクリハロです。僕の見ている世界を少し覗いてみませんか?​

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 何回か言っている気がするけど、僕は小さい頃からとても目が悪いんだよね。

 

 なんとなく、現在の目のことを話すのは気が引けるから、今回は小学生の頃までの視力についての愚痴を、思い返しながらダラダラ書いてみようと思うよ。

 


 

 よく、裸眼で0.1くらいの視力があるのに「すごく目が悪い」なんて言う人もいるけどさ、そんな視力、僕は物心つく前からないよ!!

 

 視力と言えば「1.5mmの切れ目があるランドルト環(Cの形のやつ)を5mの距離から見えたら1.0とし、距離に比例、大きさに反比例させて決める値」のことだけど、この値は0.1を切ってくると「0.0いくつ」みたいな、大体同じくらいの値になってきちゃうし、眼鏡を作るときとかには、あんまり使わないんだよね。

 

 使うのは、度数というもので、レンズの強さを表す値だよ。遠視の凸レンズをプラス、近視の凹レンズをマイナスとして、絶対値が大きいほど強いレンズだと示している、単位を「D(ディオプター)」とするもの。

 

 これは、近視の場合は「無調節状態でピントが合う距離(メートル)の逆数」で決まっていて、“調節”というのは基本近くに合わせることしかできないから、ピントを合わせられる最大の距離の逆数と言えるよ。

 例えば、50cm(0.5m)までしかピントが合わないという人は、1÷0.5=2 だから、-2Dの度数のレンズが必要だって感じ。

 

 大体、-3D(33cmまでしかピントが合わない)くらいあれば、視力は0.1くらいの視力だと思われるけど、実はこの程度は、まだ軽度なんだよ!

 

近視の分類

 軽度近視 ‥‥ -0.50D 〜 -3.00D

中等度近視 ‥‥ -3.25D 〜 -6.00D

 強度近視 ‥‥ -6.25D 〜 -10.00D

最強度近視 ‥‥ -10.25D 〜

 

 ちょっと前提知識がいる気がしたから、ちょっとお勉強みたいなフェーズを入れてしまったけど、ここまでで終わりだから、まだ懲りないで読んでくれるといいな。

 


 

 最強度近視ともなれば、10cm未満までしかピントが合わない、0.01ないぐらいの視力になるけど、僕は小学生の頃には、もうここに入っていたよ…。今となれば、その倍(-20D)以上ある…。

 視力0.01未満って、だいぶヤバいんだよ。5mの視力検査を学校でやると「一番上(0.1)なんて、あんな大きいのに見えないやついるの?」みたいに思う人もいるそうだけど、あの大きいのが50cmまで近づいたって見えないってことだからね。

 

 中等度近視でも、手元30cmすらピントが合わなくて、常に眼鏡がないと辛いという人が多いくらいだけどさ、僕は三歳児検診より前から、強度近視くらいのレベルで度が入っている眼鏡が必要だったから「おかあさんといっしょ」も「アンパンマン」もレンズ越しにしか見られなかったよ。

 

 幼稚園や小学校低学年だと、眼鏡を掛けている人なんて少ないから、いつも目立ってしまっていてね。僕は自閉症で他にもいろいろ変わった特徴あると思うけど、人が僕の特徴を言うときは、押し並べて「メガネの子」って呼ばれるんだよ。

 小さいときはコンプレックスでしかなかったから、そんなイメージしか持たれないのが悔しかったな。

 

 なんでそんなに眼鏡が嫌だったのかは、謎な部分もあるけど、その証拠に常に眼鏡を掛けていたくせに、写真だとほとんど掛けていないんだ。カメラがどこにあるかも見えないから、焦点の合ってない目になってしまって、それはむしろ怖いと言われてたから、大体あえて斜め上とかを見て、カッコつけたポーズ取ってたよ。

 なかなかそれもおかしい気がするけど、当時の僕は、分厚いレンズのせいで、ぎゅっっっと小さくなってる目凹んでしまっている輪郭不気味に白くピカピカ光る渦、そういうのを写真に収められるのが嫌で仕方なかったの。

 小学校のときはその感覚が一番強かったような気もしてて、「瓶底眼鏡」だとか、周りからいじられたら、泣いてしまっていたこともあったよ。

 

 眼鏡ぐらいみんな掛けているし、そんなに嫌がるもんなの?って思われそうだから、12歳くらいのときの僕の眼鏡を見せてみるよ。度数は確か-17Dくらいかな。加えて-3D以上の乱視もあるんだけど…。

 

 

 周りでこんな眼鏡を掛けている人いる?なかなかびっくりでしょ。

 子ども用の小さいフレームを選んで、めちゃくちゃ薄型の高いレンズにしてもらってるのに、この厚さ!少し角度をつけただけで、白い渦が見えるし、目もとっても小さく見えるし…。とても小学生が掛けている眼鏡には見えないよね。

 感覚過敏な僕としては、コンタクトは怖いし、こんな気持ち悪い眼鏡も嫌だし…

 

なんで僕の目はこんなに悪いんだー!!

 

 って、よく自分にキレてたよ。朝、だんだん意識がはっきりとしてきて、ゆっくり目を開けてみると、そこには混沌を極めるぼやけた世界が当たり前のように広がっていて、ずっと見つめていると頭が痛くなってくるんだ。道具なしでは目を開けていることすら辛いのかと、悲しい気持ちになってから、手探りで枕元の眼鏡を慎重に掴む。そして、なんとかそれを掛けては、視界を縮小されて端っこが歪んでいるこじんまりしたものにする。この虚しい一連の行いが、小さい頃から毎日欠かさずにやらなくてはいけないことだった。

 

 でも、本を読むのも、ゲームするのも好きで、凄まじい集中力でどんどん目が近付いてしまうことも多かったんだよね。まぁ成長の方が大きな原因だろうけど、どんどん近視が強くなってしまうのが、小さいときは怖くて仕方なかったな。

 

 これは、共感してくれる人も多い気がするけど、眼科に行くのも、学校の視力検査も、本当に憂鬱だったよ。「悪いことをしたわけじゃないよ。」ってお母さんは慰めてくれるけれど、眼鏡って子どもから見ると数万円もしてとても高いし、一年も経たずに替えなくてはいけなくなると、申し訳なくて仕方なかったな。

 

 学校の視力検査は「こんな分厚い眼鏡を掛けているのに、そんなに見えないの?」とか、後でどうせからかわれて嫌な思いするんだよ。

 裸眼は「全部見えません」って言って、パスしてもらえることがほとんどだったけど、AAじゃなかった人だけ保健室で再検査があって、低学年のときは人数も少なかったからか、一回だけなぜか「再検査は眼鏡を外した視力も細かく検査もしてみようか」とか言われたんだよ。(絶対あの先生がおかしいと思う)

 そのときは、かなり大きい指標まで検査している子はみんな恥ずかしそうだったけど、僕は全部見えないから、前に歩かないといけなくて、どんどん前に出るたびに、周りの子が「えー!」「やばーい!」とか騒いで、その日は主役になってしまったし、顔から火が出る思いだったよ。

 

 でもね、そのとき僕ほどじゃないけど、少し前に歩かないといけなかった子はいたんだよね。いいことではないけど、僕としては親近感が湧いて、その子とちょっと話すことができたんだ。

 自分も眼鏡を掛けていたら、そんなに僕の眼鏡をからかってくるって人ではないだろうって安心できたんだと思うけど、それからも友だちになれた子は眼鏡を掛けている人が明らかに多い気がする。

 

 分厚い自分の眼鏡は忌々しくて仕方なかったけれど、誰かが掛けている眼鏡は、友だちの証って感じがして、大好きだよ。

 今となれば、眼鏡は僕の大切なアイデンティティ。ぐるぐるピカピカの気持ち悪いレンズは目立つから、顔をすぐに覚えてもらえるし、よく考えたら、別に裸眼でいてもカッコ良くはなかった!

 裸眼でカッコ良くなかったら、もうそれで確定してしまうけれど、変な眼鏡を掛けていれば、「あの眼鏡を外したら、イケメンかもしれない」という希望があるんだよ。

 

 今日も、希望を掛けて世界を見よう。

 

今回も、最後までご高覧いただき、どうもありがとうございました!

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