10年前に亡くなった父は私を可愛がっていて、それはもう親戚中誰もが知っていることで。


父が亡くなった後兄から、父にゲンコツを食らったことがあると聞いて驚いた。

私も父に叱られたことはあるけれど、兄には手をあげたことがあったなんて。


私はずっと父の愛情を独り占めしていたんじゃないかと兄に申し訳ない気持ちを抱いていた。


だから父の葬儀で流すスライド用に兄が選んだ写真の若い頃の父と写っているのが兄ばかりで、私は晩年のグループ登山中の写真にしかいないことにも心から「それでいい」と思った。

兄は私に意地悪したわけじゃなく、素直に父のいい写真を選んだ結果たまたま幼い兄が一緒に写っていただけ。


葬儀の後、実家で片付けをしていて父の最後の日記をめくっていたら、最後の1行にはその日の兄の行動が書かれていた。

自分が何をしたじゃなく、兄が“どの車に乗って何をしに出かけたか。”がたった1行書かれていた。


1人で日記を読んでいた私はポロポロ泣いた。

私は兄から父を取り上げていなかった。


私が嫁いだ後は孫達を可愛がり、兄は同行しなくても私達家族と一緒に出かけたりキャンプをしたりすることばかりだった。嫁いだ私達家族ばかり大切にされている気がしていた。


でもずっと両親と一緒に暮らしていた兄のことを父は大切に思っていたことを実感できて安心した。


父の葬儀の時、私は知らなかった父の車の知識の深さや修理の技術を知った。

葬儀社さんから父が1番大切にしていたものは?と聞かれて迷わず「お母さん(妻)」と答えた兄にも父の姿を教えられた。

仲がいい夫婦なのはわかっていたし、若い頃の恋愛事情や結婚までの経緯は私の方がよく知っていたけれど、父が何よりも母を大切に思っていたとは考えもしなかった。

晩年を一緒に暮らした兄だからこそ迷わず出た回答だった。


8ヶ月前母が亡くなった。

母と私は仲が良かったし、可愛がってももらっていた。


だけど、子供時代厳しい躾や過干渉気味に行動を制限されたことは一生許せなかった。

「いつか母が亡くなってから後悔するかもしれないけど、それでも母の子育てには納得できないし許せない。」と言っていた。


夫は「そんな昔のこともう水に流せよ。」と言ってくれたけれど。


果たして母が亡くなって、私は悲しくなかった。今も悲しいと言う感情は湧いてこない。

淋しい?どうかな?まだ淋しいとも思えない。

喪失感さえない。


亡くなる数ヶ月前に、私が小学生の頃母が買い与えた学用品が悉く友人のものと違っていたことで、からかわれたり、いじめられたりしたことを告白した。

からかわれるのが嫌でランドセルから出さずに「忘れ物をした」と嘘をついたこともあると言って母を責めた。

ハイティーンになってから、特に大学に通っていた頃の行動の制限では、そのせいで友人との関係が浅いものになったり、サークルの活動を皆と同じようにできなかったり。

その頃の恨みつらみはもう話さなかったけれど。

枯れ木のように痩せて認知症も出ている年老いた母親に、それでもぶつけないとおさまらない怒りだった。

(なんてひどい娘だと言われて当然だろう。)


私の怒りの告白を聞いた母の反応は「そう?そんなこと知らんやった。」ぐらいのものだった。認知症ゆえの反応とは理解できた。


だけど、母が生きているうちにぶつけたことは私にとっては正直なところ大切な昇華の儀式になった気がする。

だからこそ、悲しさやさびしさだけでなく、悔しさや憎しみも感じていないから。


父が亡くなってから心身が弱りきっていた母を兄が働きながら自宅で介護してくれていた。

思い出の答え合わせもままならないようになっていた母。話していることが本当のことなのかどうか信用できないと思っていた私。

判断力の衰え故に兄に負担をかける行動を敢えて選択することへの苛立ち。


正直兄が倒れる前に母が父のもとに行ったことが救いのように思えた。


父のことを思い出すと幸せな気持ちになって父の笑顔が目に浮かぶ。

母のことを思い出しても今は「無」でしかない。



まだ61歳の兄。独り身だけど、独りだからこそ残りの人生は好きなことをして好きな時に好きなところに行って、今まで断り続けてきた大好きなお酒の誘いにもたくさん行って欲しい。





なかなか顔見せられなくてごめんね、にいちゃん。