岩崎弥太郎は1835年に、土佐藩地下浪人 岩崎弥次郎の息子として安芸市に生まれました。
弥太郎は幼い頃から藩主 山内豊照に漢詩を披露し褒美をもらうほどの腕前でした。
弥太郎は21歳の時に江戸へ遊学しました。
江戸へ渡ってから1年後、父親の岩崎弥次郎が酒席での喧嘩により投獄された事を知り、高知へ戻りましたが、弥太郎も父親の冤罪を訴えた事により投獄されました。
弥太郎は投獄されてから村を追放されました。少林塾を開いていた吉田東洋の元に入門し、才能を認められる事になりました。この時に後藤象二郎らの知遇を得ました。
27歳の時に弥太郎は喜勢と結婚しました。
1867年に藩の商務組織 土佐商会の主任に抜擢されました。
この時に坂本龍馬と初めて会っています。
坂本龍馬が海援隊を結成すると、弥太郎は隊の経理を担当しました。
1873年に三菱商会を設立しました。
弥太郎は日本で初めてボーナスを出した人物でもあります。
龍馬伝では、龍馬の幼馴染でライバルという設定になっていますが、初めて会ったのは長崎です。