デブリーナポコポンの「土佐大好きぜよ!!」
1867年11月15日、この日は龍馬の誕生日でもあった。

京都三条河原町近江屋で、中岡慎太郎と共にいました。


岡本健三郎、菊屋峯吉、用心棒の藤吉もいました。

龍馬はこの日風邪気味でした。


「シャモ鍋で一杯やろうや」


岡本、峯吉はシャモ鍋を買いに行くため外出する。


龍馬は中岡慎太郎と、三条札事件で町奉行所に囚われていた土佐藩上士の宮川助五郎の身柄について話をしていた。用心棒の藤吉は楊枝を削っていた。


夜9時、刺客が近江屋を訪ねてきた・・・・


「拙者は十津川郷士の者である、坂本先生ご在宅ならお会いになりたい」


刺客は藤吉に名刺を渡した。

藤吉は龍馬に名刺を渡そうと2階へ上がろうとした。


と、その時!!


刺客が藤吉を斬りつけた!!


ぎゃあっ!!


龍馬は


ほたえな!!(土佐弁で騒ぐなの意味)


龍馬は刺客に自分たちの居場所を教えてしまった。

刺客は階段を駆け上がり、ふすまを開けて龍馬のいる部屋に侵入。


「坂本先生、お久しぶりでございます」


と刺客が言った(どこかでそのように聞いたけど、間違ってたらごめんなさい)


と、その時!


刺客は龍馬と慎太郎を斬り付けた!!


刺客は龍馬の頭部を横に斬りかかり、もう一人の刺客は慎太郎を斬りつけた。


意識がもうろうとした龍馬は慎太郎に


「石川(慎太郎の変名)、太刀はないか」


龍馬はその後、とどめを刺されて死亡。

中岡慎太郎はまだ生きており、助けを求めたが、事件の2日後に死亡。

騒動を聞きつけた近江屋新助は土佐藩邸へ、菊屋峯吉は陸援隊へ知らせに走った。

土佐藩邸から田中顕助、谷干城、薩摩藩 吉井幸輔 海援隊 白峰駿馬が現場にかけつけた。


犯人の説はいろいろありますが、京都見廻組の佐々木只三郎、今井信郎が一番有力とされています。


その後、幕臣の永井尚志は新撰組の近藤勇から事情聴衆、近藤勇は犯行を否定しました。

近藤勇は土佐藩上士の谷干城によって斬首刑にされました。

谷干城は新撰組が犯人と決め付けていたそうです。


海援隊の陸奥陽之助らは紀州藩の三浦休太郎を仇と誤認し、天満屋に襲撃しました。

新撰組らと斬り合いになりました。



龍の魂、天へ


坂本龍馬 33年の生涯 完