お久しぶりです。
ここ最近色々ありました。
 
そのうちの一つが、父が亡くなった事。
 
ちょっと感傷的で文章にまとまりがないです、ごめんなさい。
 
死因は、入浴中の脳梗塞でした。
 
四十九日も過ぎたので、落ち着いてきたかなぁと思ってたけど、急に、この世にいない喪失感が出てきます。
 
アルコール依存症で、私が高校生くらいから働かなくなって、母が家計を支えていて、私もやりたかった部活を諦めてバイトして生きてきた。
 
部活をしない事で仲間はずれになったし、普通の学生生活を歩みたかったという悔しさもあって、父が亡くなるまでずっと、冷たい態度を取っていた。
 
何の為に生きてるの?
ただお酒飲んでるだけの廃人に生きてる意味ある?
 
何度も、父に投げかけてた。
 
旦那にも、母にも、お酒いっぱい飲んで早く寿命が来ればいいのにね。と言っていた。
 
旦那には、そういう事言うもんじゃないと言われていたけど、その時は、何で分かってくれないんだと思ったけど、亡くなった今になって気づいた。
 
ごめんなさいの思いが溢れて苦しくなる。
 
子どもから、廃人と言われて、どんなに痛かっただろうなと。
 
父は、私が実家に行くと、帰り際は『また来いよ』と言ってくれて、足が悪くなってきてからも、玄関まで見送ってくれてた。
 
お酒が入ってない時は、甲子園を一緒に見ながら、優勝を予想したり、私の今住んでいる所が、父の出身地の為、地元話をする事もあった。
 
息子の出産で陣痛が来た時、『荷物は俺が持っていくから、すぐに病院に向かえ。』と言って気遣ってくれ、生まれた日は、母と一緒に早朝に来てくれて、一度帰ったかと思ったら、母に内緒でお昼に一人で来てくれたり、産後一ヶ月は、お酒を飲まないように我慢して、ちょっとでも息子が泣けば『大丈夫か?』と声を掛けてくれて、抱っこしてあやしてくれてた。
 
旦那の不倫で離婚した時、旦那の両親に『うちの娘と孫に対して謝れ。』というニュアンスで、ちょっと言葉が荒すぎた面もあるけど、父親として、祖父として、私達を守ろうとする姿も見せてくれた。
 
旦那と復縁した時、父親として言いたい事があっただろうに、旦那を怒らず、旦那には、『お前なら大丈夫だ。』とだけ言って、あとは世間話を楽しそうにして、迎え入れてくれた。
 
息子の保育園が決まらない間、2歳の息子を見てくれていた。
 
息子は、長期休みの度に一人で実家に泊まりに行って、私は、アルコール依存症の父と二人きりの時間もあるから、大丈夫かなと心配したけど、いつも息子は、また行きたい!と言っていた。
 
そんな息子は、亡くなったと聞いた時、部屋に隠り、大泣きしていた。
 
火葬する直前まで、ずっと棺を見つめて、父の好きだった曲を流しながら、棺から離れず…
 
父は、息子が生まれた時、『俺が将棋を教えてやるからな。』と言っていた。
 
息子が保育園の時、将棋の並べ方から教えて、将棋の駒をぐちゃぐちゃにして遊んでも怒らず、何度も何度も教えてくれたんだろう。
 
お通夜の棺の前で息子が話した。
 
『俺、将棋とか最初はホントはやりたくなかった。でも、遊びに行く度にジイがやるぞ!と言ってくるから、仕方なく一緒にやってて、対戦出来るまでになって、対戦の時、ジイは俺のターンでどうすればいいかをいつも教えてくれてたんだけど、ある時ジイが、今日は俺は何も言わないから、一人で考えてみろ。って言って、ホントに何も言わなくて、で、俺が駒を動かしたら、ジイの顔が真っ赤になって、積みだ…と言って、喜んでくれたんだ!俺、初めて一人でジイに勝ったこの瞬間が今でも残ってて。俺、ジイの将棋盤を肩身にする!』
 
父は、言った通りに息子に将棋を教えてくれた。
 
息子があんなに泣いて、棺から離れなかったのは、私が見ていない時も、息子の事をとても大事にしてくれたんだろう。
 
息子が何をしても、たくさん褒めてくれたしな。
 
今になって気づく私は、大バカ者だ。
 
きっと、私に対する思いを息子に全力で注いでくれてたのかな。
 
父の不器用な愛情が、後から後から伝わってきて、もっと労ってあげればよかったと後悔。
 
私は、ファザコンだったから、お酒に溺れた格好良くない父の姿が悔しくて、あたっていたんだと思う。
 
一緒にプールに行った事、一緒に映画に行った後にピザを食べた事、よく散歩をしながら、見かける犬とじゃれ合って犬の可愛さを教えてくれた事、いつも兄弟喧嘩で負けて泣かされてる末っ子の私に、戦い方を教えてくれたり、コッソリお菓子を買ってきて、他の兄弟には内緒にするんだぞ。と甘やかしてくれた事、
バイトが遅くなり、心配したのかバイト先まで来て、二人で夜道を歩いて帰った事、高校の頃の彼氏との待ち合わせ場所に着いてきてた事、大人になっても全部覚えてる。
 
父は、亡くなるタイミングを決めていたのではないかと思う部分がある。
 
父は、両親の遺産相続で何年と揉めていた。
 
令和になって、遺産問題も何とか折り合いがつき、入金手続きに入った通知を父が見たのが亡くなる数日前。
 
そこから、母に『手続きはまだか?早くしろ!』と常に言っていたという。
 
そして、遺産が振り込まれたのは亡くなった日の前日。
 
俺は先に死ぬからな。と母に言っていたという。
 
私は、父の棺の前でその話を聞いた時、父の思いを感じ取った。
 
今まで苦労を掛けた母への感謝、愛情を精一杯表したんだと思う。
 
大金ではないけど、母が困らないようにしてくれたんだ。
 
体が辛かったけど、一日でも長くと頑張ったんだ。
 
母には、父と離婚するように何度も言ってきたけど、どんな荒くれ者でも、夫婦にしか分からない愛情があるんだろう、母は、父と居た事を後悔してない、楽しかったんだよ、頼っていた部分もあったし、寂しいよ。と泣いていた。
 
父は、愛情を素直に表現するタイプじゃないから、こういう終わり方をしたのだろう。
 
亡くなる前から、口には出さないけど、母には、申し訳ないという思いと、何とか母にその気持ちを表したいという思いが強くあって、潜在意識が働いて、こういう形になったのかな。
 
棺に手紙を添えたけど、父は、生きている間に何百冊と本を読んで来た人だから、文章が下手過ぎると苦笑しながら読んでくれたかな。
 
泣いて引きずる事は、父も望んでいないと思うから、肉体はなくなっても、想いは伝わってるような気がするから、最後、母を守るカッコイイ姿を見せくれた父に感謝!ありがとう!
 
父の生い立ちは、複雑で、いつか父親主人公のストーリーを書いてみようかな。
 
その前に、私のストーリーを完結させないとショボーン