ええと…
今日は何曜日だっけ?
昨年末の慌ただしさの反動で
だら〜んとした正月を迎えている。
おかげで曜日感覚がどこかへ
行ってしまった。
TV番組は相変わらずお笑い芸人が
ここぞとばかり出まくっていて
めでたさ全開の雰囲気だ。
私が子どもの頃のお正月は
有名企業や自治体の首長が
名曲「春の海」をBGMにしながら
「謹んで新年のお喜びを申し上げます」
などとTVで挨拶を流していた。
これがまぁ一日に何度も何度も
流されたので、かなり辟易した記憶がある。
それがいつの頃からか全く見られなく
なった。
本来CMが流れている時間帯を
わざわざ買って、正月の挨拶を流すほどの
体力が企業にも無くなったという事なのだろうか?
それとも
「どうもあれはウケが良くないようだ」と
ある日ようやく気付いたという事
なのだろうか?
*
今年は年賀状を出さなかった。
昨年12月に体調を崩して入院した身内
がいて「これはもしかしたら喪中に
なるかも?」と危惧したので年賀状の
準備も出来なかったのだ。
(ちなみに身内は回復し、
あさって退院の予定である)
しかし、ハガキも値上がりした事だし
これを機会にもう年賀状は出さない
事に決めた。
まぁ淋しい気持ちもあるけれど
仕方のない事だと思う。
実際、私の知人・友人も
こぞって”年賀状じまい”をしているし。
年賀状といえば、昔はすごかった!
特に父親に届いた年賀状の数と来たら
ざっと500枚はあったような?
私はそれを「いいな~」と
羨ましく思っていたものだが
それでもお年玉くじは毎年
切手シートしか当たらなかった。
(まぁそんなもんだろう)
子どもの頃はお正月が楽しみだった。
も〜いくつ寝ると〜おしょ〜が〜つ
と、大きな声で歌っていたほどだ。
自作の凧を苦労して上げたり
コマを回して遊んだり
福笑いやカルタもやったな〜
これで晴れ着を来て羽根つきでも
すれば完璧だったのだが、さすがに
それは諸事情により無理だった。
(晴れ着も羽子板も持っていなかったため)
年末にはどこの家も「のし餅」を注文し
およそ50cm×100cmはあろうかという
その餅を、硬くなる前に切り分けるのは
大概その家の主人の役目だったと思う。
そうして出来た切り餅を
お雑煮に3個も入れ、
箸でつまんだ餅がどこまで伸びるか
兄と競い合いながら食べたものだ。
周囲の大人たちもずっと機嫌が良く
「正月はとにかくめでたいものなのだ」
という事は子どもの心にも充分に
伝わって来ていた。
今の正月はどうだろう?
果たして今の子ども達は
かつて私が感じたような高揚感を
感じているのだろうか?
まぁ「指折り数えて待つ」ような
大イベントでもないのだろうな。
「クリスマスが終わったら当然の
ようにやって来るもの
それが正月」
という程度?
ただひとつ高揚する場面があるとすれば
お年玉をもらう瞬間だろうか。
私が小学生の頃のお年玉は
低学年で百円が相場だった。
伊藤博文の百円札だよ。
当時、百円で一体何を買えたのかは
よく思い出せないが、お札というだけで
有難味があったものだ。
*
そうそう、そういえば思い出した!
昭和の頃って祝祭日になると
日の丸の旗を玄関先に飾る家が
結構多かったな🇯🇵
その家は当然、正月も日の丸を飾る。
うちはそんなの持ってなかったので
羨ましかった。
旗の最上部には金色に輝く丸い球が
ついており、それが日に当たると
ピカピカ光って、その家がなんだか
お金持ちに見えたものだった。
あともうひとつ。
しめ飾りをつけて走っている車が
いっぱいいて、それを数えるのが
楽しかった思い出がある。
当時は正月になると車を飾る
ドライバーも多かったのだ。
今はそういった車を全く見かけなく
なったが、最近の車はデザイン上
しめ飾りを飾りたくても飾れないように
なっているのだろうか?
しめ飾りは結界の意味があって、
交通安全や幸福を祈願するわけ
だから、つけてもいいと思うんだけどね。
何より、そんな車を見かけたら
「ラッキー!」と幸せな気分になるし。
いずれ復活してくれないかな~。
*
思い出すままに昔の正月について
羅列してみました。
この記事を投稿した後に
「あ~!あれも書いておけば良かった!」
とか思い出して地団駄踏みそうです![]()
まぁ正月の迎え方に正解なんて無いし、
昭和、平成、令和それぞれの時代で
みんなが幸せな気持ちになれたら
それでいいんですよね。
今日は近所の神社に初詣に行って
氏神様にお参りして来ました。
スッキリいい気分です~![]()