今日は シソの実が大量にとれた
どうしよう
ネットで調べてみるか
いい時代だとつくづく感じる
私が二十歳の頃なんて ネットのネの字もなかったかんね
BOOKOFFなんてのもなかったし
本屋さんへ行って タダ読みするか 図書館へ行くか 位しか思い浮かばない
どうしてたんだっけ
スマホが無くても不自由じゃなかったんだよね
だって 無いんだもん
無ければ無いようにするんだよね 人間て適応力あるというか 強いよね
人と待ち合わせする時も 事前に色々と打ち合わせしておかないと はぐれる
何にもない時代から1つずつ便利な物が増えていったんだよ
それを身をもって体験しているから 凄いっちゃ凄い
トイレだって ぽっとんしかなかったんだからね ぽっとんしか
きったねー とか言ってらんないんだからね
トイレットペーパーだってお金持ちの家しかなくって
内なんて新聞紙をもらってきて それを適当な大きさに切って
使う時は くしゃくしゃに丸めたやつを また伸ばして 使っていたんだよ
今から思えば原始人のようでしょ でもホントの話だよ
テレビだって 白黒だぜ 白黒
うつりが悪いと ばちーんと叩いて直す これもまたホントの話
不思議なことに貧しかった割にテレビは物心つく前にあったから
テレビが入って喜んだ記憶が無い
カラーになって 色がついて 喜んだ覚えはある
冷蔵庫だって無かったから 生ものはその日のうちに食べきれる分量しか基本買わない
余ったら 塩漬け等にして 保存する
家電だってなかったから 初めてかかってきたときは緊張した覚えがある
今でいう 当たり前が当たり前じゃなかった時代を知ってるんだよね
それでかいと思うよ
何にも無かったけれど 幸せだったもん
ていうか 何にも無かったけれど 少しづつ 豊かになっていく過程が 幸せだったのかもな
いや違う 物質的な幸せよりも 精神的な幸せの方が でかいんだよ
精神的な幸せってお金で買えねーから うん
自分の実の子ってお金で買えないし 運よく神様から授けて頂けたからだし
あ
なんの話してんだ
子供が授かったという自慢話か
違うじゃん
シソの実だよ シソの実
子供が授かる話も 聞く人によっちゃ 嫌な話だよね ごめんなさい デリカシーにかけるところがあって
すみません
こういうところだよ
私に足りないのは
考えなしで ペラペラペラペラ しゃべる
反省しなきゃな
これもまた 私の1部分だから受け入れますよ
上の娘に叱られる お母さんは人の気持ちを考えずに自慢話をする と
自慢話してるつもりはないけれど
聞く人によっては そう聞こえるんだよ と
だから嫌われているのか 私は
え
私って人に嫌われてる
それすらも 分からなくなってきた
どうすりゃいいんだ どうすりゃ
黙っていればいいのか 黙っていれば
黙っていたら ストレスたまるじゃん ストレスが
愚痴っぽくなってきたぞ 愚痴っぽく
感謝するどころの話じゃなくなってきたので
今日はこの辺でやめます
とそそくさと 逃げる
逃げるが勝ち
退散します
神様感謝しています