<コラム>日本が品格ある国になるには
職業上の必要から毎日読む新聞の中に英国のフィナンシャルタイムズ(FT)があります。 すべてを読むことはできません。 ほとんど見出しだけを読んで終わることもあります。 しかし必ず読むコーナーが一つあります。 それは読者の投稿欄です。 国際問題に関する世界の読者のさまざまな見解や反応を知ることができます。 英語圏の読者からの意見が多いのですが、全部がそうではありません。 中南米やアジアからの投稿もあります。 水準もかなり高いものです。 記事を書いた記者やコラムニストが全く考えていなかった点を鋭く突いたり、知られていない最新情報を提供したりすることもあります。
先週末のFTには東京に住むイトウ・タカシという読者の投稿が載せられていました。 イトウの投稿が目を引いたのはその見出しのためでした。 「日本国民は自らをおかしく感じる方法を知るべき」という見出しです。 イトウは日本人に食らわすジョークで文を締めくくりました。 最新ユーモアなので紹介します。
『先進7カ国(G7)の首脳がゾウ問題に対処することに合意した。 米国政府がまず最初に報告書を出したが、題目は「ゾウで儲ける方法」だった。 イタリア政府が発表した報告書は「ゾウと恋愛する方法」だった。 ドイツ政府は6冊分量の報告書と2部の付属文書をまとめて「ゾウについての小考」と題した。 日本政府も2冊分量の報告書を提出した。 その見出しは…』。先に答えを言ってしまうと面白くありませんね。
イトウさんが投稿したのはFTに掲載されたインタビュー記事のためです。 FTの週末セクションには話題の人物に記者が会い、一緒に昼食をとりながら対話する「Lunch with FT」というコーナーがあります。 3月10日付のランチテーブルには日本の数学者、藤原正彦教授(お茶の水大)が招待されました。
藤原は、200万部以上が売れて06年に日本最高のベストセラーになった「国家の品格」の著者です。 この本で彼は「武士道」と「もののあわれ」を強調しています。 サムライ精神の別の表現である武士道は、命よりも名誉を大切にし、卑怯なことをひどく嫌う姿勢です。 弱者に対する配慮、惻隠の情、超然とした態度などでよく表れるといいます。 もののあわれは、人間のはかない人生や悠久の自然からしみじみとした哀感を見いだす情緒です。
この2つは日本人にだけある価値であり、このため日本という国は品格を維持できたと、藤原は主張しています。 ところが明治維新以降、西欧文明が入りながら品格を失っていったといいます。 西欧式資本主義の当然の帰結というものです。 したがって日本は経済的に少しの損失を出しても、失いつつある武士道やもののあわれを蘇生し、品格を回復しなければならないと力説しています。 それが日本を蘇らせ、物質万能主義に陥った世界を救う道ということです。 FTとのランチトークの内容もこれが中心でした。
自分の文化と伝統、精神的価値に自負心を持つのは当然です。 しかしそれが行き過ぎて唯我独尊の慢心になっては困ります。 自分のものが大切であるほど、他人のものも大切であることを知らなければなりません。 自分より弱い国を侵略して癒されない傷を残すことは、品格ある国がすることではありません。過去の明明白白な過ちを否定して隠そうとするのも、品格ある国がすることではありません。過ちがあれば潔く認めて謝罪することが、品格ある国民がすることです。
同じ日本人ですが、イトウの考えは藤原とはかなり違うようです。 そのために日本人の自省を促す読者投稿まで送ったはずです。 ゾウ問題について日本政府が提出した2つの報告書の題名は「ゾウと日本人の間の誤解」「ゾウは日本人をどのように見ているのか」だったといいます。 私は日本が品格ある国になることを心から望んでいます。
裵明福(ペ・ミョンボック)論説委員・巡回特派員
中央日報 2007.03.22 16:26:30
「天に向かってつばを吐く」 とはこんなことなんでしょう
ゾウの話やG7や「国家の品格」の引用などを使って、何が言いたいんだか分けのわからん三流記事
ということが言いたいんでしょうけど、朝鮮人が品格について語るとは、空いた口が塞がらない。
「武士道」と「もののあわれ」、ペ・ミョンボックはこれを唯我独尊と言ってるのでしょうか?
>自分の文化と伝統、精神的価値に自負心を持つのは当然です。 しかしそれが行き過ぎて唯我独尊の慢心になっては困ります。 自分のものが大切であるほど、他人のものも大切であることを知らなければなりません。
イトウ・タカシの喩えるゾウとは何か? 「ゾウと日本人の間の誤解」「ゾウは日本人をどのように見ているのか」の報告書は日本が海外と考え方の食い違いがあるkとを意味するのか? 海外からの目を気にしすぎていることを意味するのか?
三流以下の記者ペ・ミョンボックは何が言いたいんだろう?
結局
>私は日本が品格ある国になることを心から望んでいます。
といいたいんだろうけど、お前らにだけは言われたくない
「武士道」精神と卑怯なことをひどく嫌う日本人は、朝鮮併合を合法的な条約の基に朝鮮を併合をしました。 確かに日本にとって、ロシアの南下を止める目的で中国(明)の支配下であった朝鮮を自立した親日の強い国家として独立することを望んだ日本が、いっこうに発展しない朝鮮を日本の都合で併合こしたとは事実です。そして、「もののあわれ」の精神から乞食国家の貧しい朝鮮に日本の莫大な資金をつぎ込みインフラ、学校を整備し、敗戦したときには日本人の潔さからいっさいの返却を要求せず、撤退しました。
「武士道」と「もののあわれ」が日本人にだけある価値と書いてありますが、文化的に成熟した国はそれを尊いものと感じることが出来るはずです。
約束という言葉と概念が日本に併合されるまで存在しなかった朝鮮では朝鮮語の発音も「ヤクソク」です。ロシアからの債務を90%免除すると言うロシアからの申し出を100%免除とインフラ整備を要求する図々しい北朝鮮をみればわかるように、恩義、忠義や信義といった概念の存在しない朝鮮人には武士道は理解できないでしょう。
救急車がきても車をよけない韓国人をみてわかるように、「もののあわれ」も理解できないでしょう。いずれも朝鮮人だけはその価値観も持っていないことだけはわかります。
そんな朝鮮人が語る
>自分より弱い国を侵略して癒されない傷を残すことは、品格ある国がすることではありません。
はアメリカとともに参戦したベトナム戦争で大量の強姦による混血児を残してきたこととやキリバスでコレコレアが最大の侮蔑表現であるように、幼女買春で混血児をのこしてくることが朝鮮人にとっての品格ある態度なのでしょう。
>過去の明明白白な過ちを否定して隠そうとするのも、品格ある国がすることではありません。
とは、韓国がかつて朝鮮戦争時に行った20万人とも30万人とも言われる、共産主義者をだまして集めた後、惨殺したことを自国の教科書にものせられないことをさすのかな?
>過ちがあれば潔く認めて謝罪することが、品格ある国民がすることです。
ホントそうです
日本人は武士道精神を取り戻し、戦後のどさくさで日本の島を軍の駐留で実行支配したり、ありもしない嘘の主張をもとにして作られたコレコレアと同類の従軍慰安婦問題に対して、「卑怯なことをひどく嫌う姿勢」で挑みたいものです
職業上の必要から毎日読む新聞の中に英国のフィナンシャルタイムズ(FT)があります。 すべてを読むことはできません。 ほとんど見出しだけを読んで終わることもあります。 しかし必ず読むコーナーが一つあります。 それは読者の投稿欄です。 国際問題に関する世界の読者のさまざまな見解や反応を知ることができます。 英語圏の読者からの意見が多いのですが、全部がそうではありません。 中南米やアジアからの投稿もあります。 水準もかなり高いものです。 記事を書いた記者やコラムニストが全く考えていなかった点を鋭く突いたり、知られていない最新情報を提供したりすることもあります。
先週末のFTには東京に住むイトウ・タカシという読者の投稿が載せられていました。 イトウの投稿が目を引いたのはその見出しのためでした。 「日本国民は自らをおかしく感じる方法を知るべき」という見出しです。 イトウは日本人に食らわすジョークで文を締めくくりました。 最新ユーモアなので紹介します。
『先進7カ国(G7)の首脳がゾウ問題に対処することに合意した。 米国政府がまず最初に報告書を出したが、題目は「ゾウで儲ける方法」だった。 イタリア政府が発表した報告書は「ゾウと恋愛する方法」だった。 ドイツ政府は6冊分量の報告書と2部の付属文書をまとめて「ゾウについての小考」と題した。 日本政府も2冊分量の報告書を提出した。 その見出しは…』。先に答えを言ってしまうと面白くありませんね。
イトウさんが投稿したのはFTに掲載されたインタビュー記事のためです。 FTの週末セクションには話題の人物に記者が会い、一緒に昼食をとりながら対話する「Lunch with FT」というコーナーがあります。 3月10日付のランチテーブルには日本の数学者、藤原正彦教授(お茶の水大)が招待されました。
藤原は、200万部以上が売れて06年に日本最高のベストセラーになった「国家の品格」の著者です。 この本で彼は「武士道」と「もののあわれ」を強調しています。 サムライ精神の別の表現である武士道は、命よりも名誉を大切にし、卑怯なことをひどく嫌う姿勢です。 弱者に対する配慮、惻隠の情、超然とした態度などでよく表れるといいます。 もののあわれは、人間のはかない人生や悠久の自然からしみじみとした哀感を見いだす情緒です。
この2つは日本人にだけある価値であり、このため日本という国は品格を維持できたと、藤原は主張しています。 ところが明治維新以降、西欧文明が入りながら品格を失っていったといいます。 西欧式資本主義の当然の帰結というものです。 したがって日本は経済的に少しの損失を出しても、失いつつある武士道やもののあわれを蘇生し、品格を回復しなければならないと力説しています。 それが日本を蘇らせ、物質万能主義に陥った世界を救う道ということです。 FTとのランチトークの内容もこれが中心でした。
自分の文化と伝統、精神的価値に自負心を持つのは当然です。 しかしそれが行き過ぎて唯我独尊の慢心になっては困ります。 自分のものが大切であるほど、他人のものも大切であることを知らなければなりません。 自分より弱い国を侵略して癒されない傷を残すことは、品格ある国がすることではありません。過去の明明白白な過ちを否定して隠そうとするのも、品格ある国がすることではありません。過ちがあれば潔く認めて謝罪することが、品格ある国民がすることです。
同じ日本人ですが、イトウの考えは藤原とはかなり違うようです。 そのために日本人の自省を促す読者投稿まで送ったはずです。 ゾウ問題について日本政府が提出した2つの報告書の題名は「ゾウと日本人の間の誤解」「ゾウは日本人をどのように見ているのか」だったといいます。 私は日本が品格ある国になることを心から望んでいます。
裵明福(ペ・ミョンボック)論説委員・巡回特派員
中央日報 2007.03.22 16:26:30
「天に向かってつばを吐く」 とはこんなことなんでしょう
ゾウの話やG7や「国家の品格」の引用などを使って、何が言いたいんだか分けのわからん三流記事
ということが言いたいんでしょうけど、朝鮮人が品格について語るとは、空いた口が塞がらない。
「武士道」と「もののあわれ」、ペ・ミョンボックはこれを唯我独尊と言ってるのでしょうか?
>自分の文化と伝統、精神的価値に自負心を持つのは当然です。 しかしそれが行き過ぎて唯我独尊の慢心になっては困ります。 自分のものが大切であるほど、他人のものも大切であることを知らなければなりません。
イトウ・タカシの喩えるゾウとは何か? 「ゾウと日本人の間の誤解」「ゾウは日本人をどのように見ているのか」の報告書は日本が海外と考え方の食い違いがあるkとを意味するのか? 海外からの目を気にしすぎていることを意味するのか?
三流以下の記者ペ・ミョンボックは何が言いたいんだろう?
結局
>私は日本が品格ある国になることを心から望んでいます。
といいたいんだろうけど、お前らにだけは言われたくない
「武士道」精神と卑怯なことをひどく嫌う日本人は、朝鮮併合を合法的な条約の基に朝鮮を併合をしました。 確かに日本にとって、ロシアの南下を止める目的で中国(明)の支配下であった朝鮮を自立した親日の強い国家として独立することを望んだ日本が、いっこうに発展しない朝鮮を日本の都合で併合こしたとは事実です。そして、「もののあわれ」の精神から乞食国家の貧しい朝鮮に日本の莫大な資金をつぎ込みインフラ、学校を整備し、敗戦したときには日本人の潔さからいっさいの返却を要求せず、撤退しました。
「武士道」と「もののあわれ」が日本人にだけある価値と書いてありますが、文化的に成熟した国はそれを尊いものと感じることが出来るはずです。
約束という言葉と概念が日本に併合されるまで存在しなかった朝鮮では朝鮮語の発音も「ヤクソク」です。ロシアからの債務を90%免除すると言うロシアからの申し出を100%免除とインフラ整備を要求する図々しい北朝鮮をみればわかるように、恩義、忠義や信義といった概念の存在しない朝鮮人には武士道は理解できないでしょう。
救急車がきても車をよけない韓国人をみてわかるように、「もののあわれ」も理解できないでしょう。いずれも朝鮮人だけはその価値観も持っていないことだけはわかります。
そんな朝鮮人が語る
>自分より弱い国を侵略して癒されない傷を残すことは、品格ある国がすることではありません。
はアメリカとともに参戦したベトナム戦争で大量の強姦による混血児を残してきたこととやキリバスでコレコレアが最大の侮蔑表現であるように、幼女買春で混血児をのこしてくることが朝鮮人にとっての品格ある態度なのでしょう。
>過去の明明白白な過ちを否定して隠そうとするのも、品格ある国がすることではありません。
とは、韓国がかつて朝鮮戦争時に行った20万人とも30万人とも言われる、共産主義者をだまして集めた後、惨殺したことを自国の教科書にものせられないことをさすのかな?
>過ちがあれば潔く認めて謝罪することが、品格ある国民がすることです。
ホントそうです
日本人は武士道精神を取り戻し、戦後のどさくさで日本の島を軍の駐留で実行支配したり、ありもしない嘘の主張をもとにして作られたコレコレアと同類の従軍慰安婦問題に対して、「卑怯なことをひどく嫌う姿勢」で挑みたいものです