慶尚南道、「亀甲船」探査事業に着手(下)

 「亀甲(きっこう)船探査」は、2011年まで計1400億ウォン(約180億円)余りの事業費を投入する「李舜臣(イ・スンシン)プロジェクト」の一環として行われ、慶尚南道が意欲的に取り組んでいる事業だ。もし成功した場合、世界的な文化遺産となるだけでなく、わが先祖らの偉大さを全世界に誇示することができる点も魅力的だ。

 なお、「李舜臣プロジェクト」とは、李舜臣将軍の業績を国際的に広める事業や、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)関連の遺跡地整備および復元事業などで、李舜臣将軍を国家ブランド化することを目的としている。

 ところで学界では、李舜臣将軍が(兵卒に格下げされ)白衣従軍していた1597年陰暦7月16日、元均(ウォン・ギュン)が率いていた朝鮮水軍が巨済・漆川梁で倭軍に大敗した際に、亀甲船も沈没したものと推定している。

 また、亀甲船の探査および引き揚げに向けた努力は、朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領時代の1973年から78年にかけても行われ、文化公報部(現在の文化観光部)が探査作業を担当したが、何ら成果なく終了した。以降、海軍が探査に乗り出し、94年に全羅南道麗川の白島近海から勝字銃筒4点、別勝字銃筒9 点、仏狼機子砲1点など、計25点の貴重な遺物を引き揚げたが、亀甲船を見つけることはできなかった。

 その後の亀甲船探査は、98年に28人で構成された海底遺物探査班が再び活動を始めたが、これといった実績を上げられず、2003年に10人に減員され、四半期に1回(1回当たり2週間)の探査活動を行っている。

 「1%の可能性でもあるならば挑戦する」という慶尚南道の「意欲」に対し、亀甲船探査がどのような成果を収めることができるのか注目される。

姜仁範(カン・インボム)記者
朝鮮日報/朝鮮日報JNS



豊臣秀吉の朝鮮出兵は日本ではそういうことが有ったことと、出兵は失敗したことくらいしか教えられていませんでした。

 しかし、

驚くことに、秀吉軍は進軍1ヶ月でソウルを落とし、数ヶ月で平壌まで進出したそうではないか。強いぞ秀吉! ていうかあまりに朝鮮軍が弱すぎであっけにとられてしまったようです。その後平壌に明軍の先発隊がやってきたのを、軽くしのいだが、その後明が大群を送り込んだため、ソウルに引いてこれを撃退したとのこと。wikipediaより  http://ja.wikipedia.org/wiki/文禄・慶長の役

こんなに朝鮮奥地に進行していたとは知りませんでした。朝鮮軍はこのときも一人で立っていられず明の助けがなければどうしょうもなかったのね。さすが世界最優秀の民族。 秀吉も朝鮮はどうでもよく、明が本当の狙いだったことを我々の世代は教わったのかな? これほど秀吉軍が侵攻していたのなら、朝鮮人が文句を言うのもこの点では納得ですね。なんでそんな遥か昔のことをいつまでもぐちぐち言うのだろうと不思議でしたから。でも本当に朝鮮人がおこっているのは、そのときの奴婢と呼ばれる朝鮮人の奴隷や、下層の民衆が日本を解放軍ととらえていたことが朝鮮民族として屈辱なんでしょうね。

あまりに弱い朝鮮軍の中で、秀吉軍に抵抗できたのが、水上戦において活躍した李舜臣将軍率いる亀甲船だそうです。

しかし これも朝鮮人の特技である呼吸するがごとくに捏造したものらしいです。亀甲船を朝鮮人は装甲船のような戦闘船に歴史操作で仕立て上げたようですが、実際は単純な木造船で、秀吉軍と海上戦を行ったのではなく、補給船を襲撃するゲリラ攻撃を仕掛けただけで、まともな戦闘を行ってはいなかったようです。

っていうことは有りもしないものを探しているんですね。でも朝鮮人なら有りもしないものを見つけられるかもしれませんね。なんせ目的が  わが先祖らの偉大さを全世界に誇示すること  ですから、怖いですね。