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NAで学んだことがある。

アディクトに対して、
「やめろ」
「気合いだ」
「環境を変えろ」
そう言うだけなら簡単だ。

でも、それで本当に止まれた人を、俺はあまり知らない。

もし“意思の力”だけで回復できるなら、
俺たちはこんなに苦しまなかった。

無力とは、甘えじゃない。

「もう二度とやらない」と本気で思っても、
気づけばまた使ってしまう。
その現実を何度も経験した人間だけが、
この言葉の重さを知っている。

だからNAにはスポンサーがいて、仲間がいて、ミーティングがある。

“支え合い”は綺麗事じゃない。
一人では戻ってしまう現実を、みんな知っているからだ。

そしてもう一つ思う。

回復を語るなら、
「自分はできた。だからお前もやれ」
ではなく、

「なぜ自分は今日クリーンでいられるのか」
を問い続けなければいけない。

それを全部“自分の力”だと思った瞬間、
アディクションの本質から遠ざかる気がする。

これは誰かを責めたい話じゃない。

まだ苦しんでいる仲間に対して、
“理解されない苦しさ”を、これ以上増やしたくないだけだ。