僕は、五歳のとき、交通事故にあった。鬼ごっこをして、広いとおりに逃げたとき車にはねられた。広い、とおりといっても、車が一台が通れるぐらいのとおりだった。僕の住んでいた所は、道が入り組んでいて、車が一台でも通れない道がいっぱいあった。父は、この交通事故を示談で済ましたが後で、聞いた所によると父は、その金を博打につかったといことがあとになってわかった。それでも母は、何も言わず、黙々と働いた。そんな父である。僕が九歳のときに肝硬変になって死んでしまった。母は、父の後妻だったが、父が後、一年、死ぬのが早かったら僕は、私生児になるところだった。あんな父の息子でいるなら、それもよかったかもな、と後でおもったこともある。事故にあって以来僕は、原因不明の頭痛をおこすようになった。当時は、脳波やレントゲン写真を撮ったが原因は、つかめなかった。しかし、後になって事故による後遺症と判明した。結局、頚椎に原因があったということがわかった。頭痛の発作を起こすと、一晩、頭痛に苦しめられた。勉強していも頭痛のためか、勉強を中断することが多かった。そのため勉強の成績は、よくなかった。父の死後、母は、叔父の経営する牛乳配達の店で働いて、生活をしのいだ。しかし、母が僕が15歳のときに交通事故に会った。事故は相手の過失とて認められた。母の命に別状は、なかったが母は、事故の見舞金を僕の高校の入学金に充てた。それで僕は、失望感と自尊心を傷つけられた。その事故があと五年遅ければ、僕は、もっと大人だったに違いない。それで、僕は頭痛と戦いながら狂ったように勉強したが高校の成績は、英語がクラスでトップだったが他の成績は、かんばしくなかった。そんな成績なのに国公立をめざしていた。僕にまた不運が訪れた。進路指導の最中、担任の教師が首になるという事態が発生した。代わりに担任なった教師は、母が本人は、国公立しか行かないと言っているとつげるとその新しい担任は、「それは、しかたないな」のひとことでおわった。それで僕は、四浪したが大学に合格としなかった。それがかえって、母にお金を使わせてしまった。たかが母が事故の見舞い金を入学金に充てたからといって自分の人生を自分で壊したことはいうまでもない。愚かな一人相撲だった。二つの交通事故が僕の人生を変えたのは、言うまでもなかった。