引き続き、「サピエンス全史」を読んでいる。
「イデオロギー」や「○○主義」という概念を「宗教」という言葉でまとめてしまうユヴァル・ノア・ハラリの知見には驚嘆するし、言われてみると納得もする。
もちろん、呼称が分けられているのは、厳密にはその概念に差があるからだろう。しかし、素人からすると似たようなものなので、素人でも分かりやすいように単純化するのは素晴らしいことだと思う。
さて、本書の宗教について、特に「神」についての当たりを読んでいてふと疑問に思った。
「一神教」と「多神教」。神がいる宗教のベースになっているのは、この2つに落ち着くだろう。しかし、「三神教」、「五神教」、「十神教」という呼び方は聞かない。「一神教」以外は「多神教」になるのかもしれないが、例えば三種類の神だけを崇める宗教がたくさんあるのであれば、「三神教」という呼び方があってもおかしくはないはずだ。それがないのは、二神以上の神がいる宗教は、神の数が宗教毎に差があるからではないだろうか?
まず、世界を席巻している「ユダヤ教」「キリスト教」「イスラム教」は、いずれも一神教である。
一方、多神教の宗教というのは、それらの宗教よりも曖昧な要素が多いと感じる。例えば日本には「神道」が根付いているものの、その枠組みは非常に曖昧に感じる。万物に神が宿っており、神社毎に特定の神がいるわけだが、その区別はどこにあるだろうか? 少なくとも、上記の一神教ほど庶民にその区別はつかないだろう。正直、「なんとなく、そういうもの」で止まっており、なんとなくありがたがっているのが現実ではないだろうか?
これは憶測だが、はっきり言って人間は単純なことしか覚えていられないため、覚えるべき神の種類が少ないものでないと宗教が上手く普及しないのではないだろうか?
もちろん、記憶力の良い人であれば多くの神を暗記できるだろうが、大衆にそれほどの情熱があるとは考えにくい。しかも、神のことを中途半端に覚えると、伝言ゲームによって神の情報が編集されてしまう。そうして間違った知識で神を覚えてしまった人が、次世代にその誤った神のことを伝えて、それがまた編集されて……ということが起こりうるだろう。
よって、その事故が起こりにくい一神教は、多神教に比べてその教えが正確に伝わりやすいのではないかと思う。