先日、僕の故郷の秋田県横手市十文字町にいる知り合いから、写真付きのメールが届きました。

なんでも、教会の牧師館の解体が決まり、翌日から壊されるよ…とのこと。


父が以前その教会の牧師だった我が家は、その牧師館で暮らしていました。

僕自身も、中高生時代を、その牧師館で過ごしたのでした。


デボメ広場  デボメ広場


デボメ広場  デボメ広場



送られてきた写真を眺めながら、
僕は「もっと写真を送って。あるだけ送って。」とお願いしました。


その家に住んでいたのは約6年間という短い期間。

その家を出て、すでに20年近くが経とうとしている。


それでも・・・、自分でもビックリするほど・・・、

“自分の思い出が詰まった場所がなくなる。”

“自分が育った家がなくなる。”

それは、とっても寂しいことなんだと、改めて教えられた気がしました。


東日本大震災の後、大好きだった大熊町に住めなくなり、

思い出が詰まった家に戻れなくなって、やっぱり寂しさを感じました。

その体験があったから、今回の写真を見て、思いのほか寂しくなったのかもしれない。


そしてまた、

立ち入り禁止になってしまった、あの地域で生まれ育った方々。

小さい頃からの、家族や友達との思い出がギッシリ詰まった家や町を失ってしまった方々。

大切な故郷に、自由に入ることができないということが、どんなにつらいことなのか。


同じ“被災者”と呼ばれる立場にあっても、

その悲しみや寂しさは、本当に人それぞれであることを痛感させられて、心が痛くなったのかもしれない。



最近、11才の長女がポツリとつぶやいた。

「あと4年かぁ・・・」


大熊町に許可を取って入ることができるのは15才以上・・・。

15才になったとしても、行かない方が良いということを、長女も長女なりに理解している。

それでも、やっぱり「一度は行きたい」と言う。

「あと5年・・・」「あと4年・・・」と、もう一度思い出が詰まった“自宅”に足を踏み入れられる日を待っている。


彼女が育った町。

幼稚園や小学校に通った町。

家族や友達との思い出が詰まった家や町。

それはやっぱりかけがえのない場所なんだなぁ・・・。


今一度、“被災者”として“被災者”の方々に、どのように寄り添っていけるのか。

そんなことを考えさせられた、出来事でした。