私が看護師になって、早?30年目。

新卒で勤めた総合病院から、結婚を機にこの土地にやって来て、最初に勤めた総合病院に17年、今の精神科に勤めて6年目。

思えばたくさんの患者さんと知り合いました。

この地の総合病院では後半を小児科のナースとして働き、病院が廃院となったので雇用主都合で退職。翌日に今の精神科の病院に勤めました。


先日の焼きそばバザーで、前日の準備をしていた時に、他のチームのサポーターにいらしていたお母さんに声をかけられました。

「看護婦さんですよね?○○病院にいらっしゃいましたよね。」
○○病院は以前勤めた総合病院。

こういう語りかけに私はちょっと緊張します。

以前も書いたことがあるんですが、私は結婚して名前の読みがかつてアイドルだったある芸能人と同じになりました。

芸能人と同じ名前(読みだけだけど)になって、銀行や役所の受付でフルネームで呼ばれると注目を浴びるのが辛い、って話だったんですが、この名前になってから患者さんはまず一発で私の名前を覚えます。しかもフルネームで。

まだその総合病院に在職してた頃、入院してきた患者さんに「○○△△△さん!」といきなりフルネームで呼ばれた。よくご存知で…どこかでお会いしました?と聞くと「10年前に入院しました。あなたのことだけは覚えている」と言われるくらいに、芸能人の名前はインパクトが強い。10年間相手の記憶にとどまる私。うかつに悪いことも出来ない。

ある時町中で「看護婦さーん」とご婦人に声をかけられたことがありました。

白衣を着ていない時に「看護婦さん」と声をかけられるのはちょっと恥ずかしい。
でも、看護婦さんと呼ばれるからには相手は患者さんに違いない。
その時の私、なぜか分かった顏して「ああ、こんにちは。」と言ってしまった。ご婦人に全く見覚えが無いくらい、誰だか分からなかったのに曖昧な返答をしてしまったのです。

「その節はおばあちゃんがお世話になりました。」とご丁寧な挨拶をされ、「いえいえ」なんてさらに曖昧な返しをしてしまいました。

ブブー(--;)!
この時点で私は「失礼ですがどちら様でしたっけ?」と言うべきでした。

曖昧な返しをしたために、相手は自分が誰かを覚えていてくれた、と思っている。ますます嬉しそうに話が切れない。

何となくお話をしながら私なりに思い出そうと必死になるけど思い出せない。患者さん本人ならともかく、家族までは覚えているはずがない。

そして私ったらつい「おばあちゃん、お元気ですか?」なんて痛恨のミスをした。

「え?あの、おばあちゃん亡くなったんですけど…」

途端に気まずくなる空気。
その方はおそらくおばあちゃんの臨終の時のお礼を言って下さっていた、と知る。

仕方ないから他の患者さんの家族と間違えていた振りをして、ごめんなさいと謝ってその場は別れたけれど、後味悪い会話になってしまった。

言い訳をすると、当時その病院で年間に出会う患者さん200人くらいはいたと思うのです。
17年勤めたってことは、単純計算でも3400人。うん、無理だ。全員覚えているなんて、いきなり「久しぶり~」って言われて、○○さん!なんて記憶の引き出し開けるなんて私には無理。

芸能人が子供の頃の母校を訪ねて、「担任の先生」に何十年ぶりの感動の再会…とか、先生がよく「○○ちゃんのことはよく覚えています」みたいなことを言うの、怪しいなあと思うもの。

以来、私は「○○病院の看護婦さんでしたよね?」の語りかけには、「ごめんなさい。よく覚えていないのですが、どちら様でしたっけ?」と聞くことにしています。

で、バザー準備の日に話しかけて下さったお母さんに同じように答えました。覚えていないのはこちらも残念で申し訳ない気持ちなんですよ。少なからず相手ががっかりするのが分かるから。

すると、「娘2人とも○○病院で産んだんですよ。赤ちゃん渡すところ(新生児室)にいらっしゃいましたよね」
ああ、はいはい、いましたいました。

なおさら無理です。
よそ様の赤ちゃんは他人が見るとみんな同じに見えるんですよ。しかも、産みたては名前もついて居ないしね。
生まれたてはしばらくお母さんのおまけみたいに呼ばれる。
「デビ拓ベビー」って、お母さんの名前にベビーをつけるだけ。

お母さんたちも制服のように同じピンクの産後病衣を着てたから、名前はあるけどみんな同じに見えちゃうんです。

そして私たち看護婦さんは、受け渡しを間違えないように正しい組み合わせで赤ちゃんを産みの母に渡すことで精一杯。

これで当時を覚えていたら、天才通り越して鬼才だよね。

それでも、タクヤの上級生にあたる娘さんたちを産んだ頃に思いをはせるお母さん。
私も当時はよく分かってもいなかったくせに偉そうなこと言っていたんだろうなあ。

「あの時は本当にお世話になりました。おかげさまで2人ともスクスク育っています。」と言って下さった。

ああ、それは何より、良かったです。私のおかげじゃないですけれど、スクスク育ってくれたのを聞くと嬉しいです。覚えてなくてごめんなさい。と謝った。

そばで聞いていたO型ママが「でも、嬉しいよね。こんなに何年もたってからありがとうって感謝される仕事ってないよね。看護婦さんって素敵な仕事ね。羨ましい。」と言ってくれました。

ああ、本当だ。私にとって残念ながら不特定多数の相手だけど、相手にとっては大切な人生の至福のスタートや終焉に関わっていた私は特別な位置に知らずに立っていたんだなあ。

看護婦さんしていて良かったなあ、と思えた出来事。

今回焼きそばバザー委員をして、良かったなと思えた出来事でした。

Nママ「え?デビ拓さん○○病院にもいたの?」と聞いてきた。

うん、君に語ることは何もない。どうせ職歴話しても忘れるしさ。来月には君は私の忘却の彼方に行ってもらう予定だしさ。