大玉さんの話が減ってきたなあ、と感じ始めたのは保育園の6歳頃。
毎日のように大玉さん談義だったのに、あれ?今週は大玉さんの話がでてこなかったよね、 なんて具合いに。思い出すように大玉さんの話がでると「ああ、大玉さんまだ居たんだ」と妙にほっとした。
でもそのうちに、とうとうタクは大玉さんの話をしなくなった。
怪しい書き順ながらも、文字を書くようになり、楽しい解説付きの絵を描くようになった。「氷り鬼」という鬼ごっこに夢中になって、集団遊びも大好きになった。1人遊びが少なくなった代わりに、好きな友達が増えていく。自分から友達を誘って鬼ごっこをする、トラブルも発生してケンカになったりするけれど、私から見たら「周囲の人を意識する」すごい成長だった。
でも、とうとう大玉さんは居なくなってしまった。
「大玉さん、最近出てこないねぇ」と呟く私にタクが「お母さん淋しい?」と聞いた。「うん。ちょっと淋しい」不思議だけれど、正直な気持ちだった。
数日後、タクが「お母さん、今大玉さんはね…」と語り出す。でも違う、今までのあふれでるような語り口でもなければ、内容も微妙に違う。
「タク、もしかして気を使ってる?」「うん。だってお母さん大玉さん居なくなって淋しいんでしょう?」
優しいね。ありがとう。でも、今まで楽しかったから大丈夫だよ。大玉さんが居なくなったってことは、タクがお兄ちゃんになったってことなんだもん。そう言って笑うとタクも恥ずかしそうに笑った。
後に西原理恵子さんの「いけちゃんとぼく」のDVDをタクと一緒に見た。
いじめられっこの主人公の男の子が、いけちゃんというイマジカルフレンドと冒険したりちょっと悪いことしたりしながら成長していくストーリー。
私がぐっと来たのは主人公の母役のともさかりえがいけちゃんにお礼を言うところ。
いけちゃんは主人公にしか見えない。息子を助けてくれていてありがとう、といけちゃんに言う。いけちゃんはびっくりする「え?何で?(見えるの?)」
見えないけど、何となく居てくれている気がするの、というようなやりとりのシーン。
タクの大玉さん、きっと天井見上げて手を振っていた赤ちゃんの頃から居たんだろうな。
1人遊びが好きだった訳じゃなく、タクのそばにいつも居てくれて、私達に見えなかっただけなのかも。
とうに亡くなった私の父は、子煩悩でスケールが大きな話が好きな人だった。悪気は無いのだけど、つい話に脚色してしまう、大風呂敷タイプ。父の少年時代の冒険談は、何回聞いてもワクワクしたものだ。
今なら、半分くらい脚色してるな、と思うけど。その頃は父の話が大好きだった。
大玉さん、お父さん、似てるなあ。何となく。もしかしてタクと遊んで居てくれていた?お父さん。
そしてタクがある日、「お母さん。本当は大玉さんて居ないんだよ。」と教えてくれた。タクが気づいたのか、大玉さんが最後に教えてくれたのか。
タクの幼児期が終わったんだなあ、と思った。嬉しくもあり、寂しさも感じた6歳の秋だった。
毎日のように大玉さん談義だったのに、あれ?今週は大玉さんの話がでてこなかったよね、 なんて具合いに。思い出すように大玉さんの話がでると「ああ、大玉さんまだ居たんだ」と妙にほっとした。
でもそのうちに、とうとうタクは大玉さんの話をしなくなった。
怪しい書き順ながらも、文字を書くようになり、楽しい解説付きの絵を描くようになった。「氷り鬼」という鬼ごっこに夢中になって、集団遊びも大好きになった。1人遊びが少なくなった代わりに、好きな友達が増えていく。自分から友達を誘って鬼ごっこをする、トラブルも発生してケンカになったりするけれど、私から見たら「周囲の人を意識する」すごい成長だった。
でも、とうとう大玉さんは居なくなってしまった。
「大玉さん、最近出てこないねぇ」と呟く私にタクが「お母さん淋しい?」と聞いた。「うん。ちょっと淋しい」不思議だけれど、正直な気持ちだった。
数日後、タクが「お母さん、今大玉さんはね…」と語り出す。でも違う、今までのあふれでるような語り口でもなければ、内容も微妙に違う。
「タク、もしかして気を使ってる?」「うん。だってお母さん大玉さん居なくなって淋しいんでしょう?」
優しいね。ありがとう。でも、今まで楽しかったから大丈夫だよ。大玉さんが居なくなったってことは、タクがお兄ちゃんになったってことなんだもん。そう言って笑うとタクも恥ずかしそうに笑った。
後に西原理恵子さんの「いけちゃんとぼく」のDVDをタクと一緒に見た。
いじめられっこの主人公の男の子が、いけちゃんというイマジカルフレンドと冒険したりちょっと悪いことしたりしながら成長していくストーリー。
私がぐっと来たのは主人公の母役のともさかりえがいけちゃんにお礼を言うところ。
いけちゃんは主人公にしか見えない。息子を助けてくれていてありがとう、といけちゃんに言う。いけちゃんはびっくりする「え?何で?(見えるの?)」
見えないけど、何となく居てくれている気がするの、というようなやりとりのシーン。
タクの大玉さん、きっと天井見上げて手を振っていた赤ちゃんの頃から居たんだろうな。
1人遊びが好きだった訳じゃなく、タクのそばにいつも居てくれて、私達に見えなかっただけなのかも。
とうに亡くなった私の父は、子煩悩でスケールが大きな話が好きな人だった。悪気は無いのだけど、つい話に脚色してしまう、大風呂敷タイプ。父の少年時代の冒険談は、何回聞いてもワクワクしたものだ。
今なら、半分くらい脚色してるな、と思うけど。その頃は父の話が大好きだった。
大玉さん、お父さん、似てるなあ。何となく。もしかしてタクと遊んで居てくれていた?お父さん。
そしてタクがある日、「お母さん。本当は大玉さんて居ないんだよ。」と教えてくれた。タクが気づいたのか、大玉さんが最後に教えてくれたのか。
タクの幼児期が終わったんだなあ、と思った。嬉しくもあり、寂しさも感じた6歳の秋だった。