Scheffler, S. (2017). Membership and Political Obligation. Journal of Political Philosophy, 26(1), 3-23.
関係的責務論に関しての比較的新しい論文です。だいたい引用後の分は訳文ではなく適当に言い換えてますし、誤訳はあるかもしれないですね。
1 要約
重要な部分だけ。
The central idea is that to value one’s relationship with another person non-instrumentally just is (in part) to see that person’s needs, interests, and desires as providing one—in contexts that may vary depending on the nature of the relationship—with reasons for action that one would not otherwise have, and with which the needs, interests, and desires of other people do not provide one.
AがBとの関係を非機能的に正しいと評価することは、Bの必要、利益、望みがAに行為の理由―Bとの関係がなければAが持つことはなかったような理由であり、B以外の人の必要、利益、望みであればAが持つことはなかったような理由―を与えるものであると捉えることである、というのが中心的な考えである。
・これを筆者は「関係依存的理由(relationship dependent reason)」と呼ぶ。その行為や関係が機能的に良いからではなく、相手との関係そのものを理由に、それ以外の相手にはしなかったような行為を時に人はする。(例えば見知らぬガキにお小遣いを挙げる気はなくても孫にはお小遣いを挙げたくなってしまう)
Many relationships are in fact valuable, and when we participate in such relationships we are correct to value them. This means we are correct in seeing them as sources of reasons for action. Participation in a valuable relationship is a source of relationship-dependent reasons.
価値ある関係の中に生きているとそれを評価するので、価値ある関係は関係依存的理由の根拠になる。
人は関係だけではなく集団や共同体の構成員であることにも価値を感じる。個人的関係がない相手にも同じ集団の構成員としての価値を感じることができる。この構成員としての価値の評価は非機能的。集団が機能的に価値あるとしても、それとは独立して非機能的な価値を与えることができる。これを成員依存的理由(membership dependent reason)と呼ぶ。
In general, membership-dependent reasons are reasons for doing one’s share, as defined by the norms and ideals of the group itself, to help sustain it and contribute to its purposes.
「成員依存的理由はある集団の構成員が集団の規範や理想によって定められたのに従って、集団の維持や集団の目的に貢献するのを助ける責任の一端を担う理由である」(Scheffler 2017, 6)
・成員としての価値を認めるということは集団の規範に従って行為する理由を提供する。
・最優先の理由を提供するわけではない。他の考慮によって覆されうるが、他の集団が提供しない理由を提供しているというのは確か。理由は解除可能(defeasible)である。
⇒ここまでで関係依存的理由、成員依存的理由が実際にどのように働いているかを示しており、大事なのはこれらを責務に媒介する次のステップ。なぜ関係依存的理由、成員依存的理由が義務に結び付くか。
If I fail to act on compelling relationship dependent reasons to respond to the needs of a friend, then I have wronged him and he is entitled to complain and to hold me to account. He is entitled to do these things because, as participants in a valuable relationship, each of us has reasons to act in behalf of the other in certain contexts, and each also has reason to form certain normative expectations of the other and to complain if those expectations are not met. In particular, each is entitled to expect that the other will act in his behalf in certain contexts.
関係依存的理由を無視して行為した場合、相手はそれについて文句を言い、説明を求める資格がある。ある文脈において、価値ある関係の参加者は他の誰でもない自分が行為する理由、そして相手がそう行為することを規範的に期待するに足る理由、その期待が満たされなかった場合に文句を言う理由を持つ。
・関係依存的理由に基づいて行為する理由があることの裏返しとして、そう行為することを規範的に期待するに足る理由があることを導出している。(視点の変換)
・こうした期待を無視することを正当化するような片務的な理由を個人は持たないため、関係依存的理由・成員依存的理由に従って行為する理由が生まれる。
・相手の期待を無視する理由に関して説明責任が生まれるのだから、まずは相手の期待に従う(=関係/成員依存的理由に従って行為する)一応の理由が生まれる。
これを政治的責務に応用すると
①政治社会の成員(資格)は非機能的に価値を持つ。
②社会の法は構成員の行動の規範の中に位置づけられる。
⇒この2つが成り立てば成員依存的理由を法に従う理由に適用できる。
③こうした法に従う理由が法に従う義務に値するものである。(理由≠義務)
以上の3つで一応の遵法義務が成り立つ。
これらの条件を以下で検討していくが大して重要な記述がなかったのでここだけ。
③遵法理由は義務に値するか。
One is obligated because one does not have the unilateral authority to disregard one’s membership-dependent reasons. One cannot waive the entitlement of others to complain and to hold one to account if one fails to act on them
成員依存的理由に従って行為することへの他者の規範的期待や説明要求を無視する資格がないので、この理由を持つことは義務に値するといえる。
2 コメント
従来の関係的責務論は「なぜ関係が責務の根拠になるのか」という問いに十分答えられていなかった。特に結局は関係論ではなく受けた利益に対して応じるべきという感謝論やフェアプレイ論、あるいは同意論に還元されるだろうという還元主義の批判に対して答えられていなかった。これは主に行為する人自身の視点(のみ)から責務を説明しようとしたことゆえの限界だったといえるかもしれない。
Schefflerはそこで視点を変換して、法に従って行為するだろうという「他者の合理的、規範的な期待」を媒介することで、遵法の一応の理由や義務を提供しているところが新しく、面白い。「①他者と何らかの関係がある②その関係は他者が何らかの行為に関して規範的な期待を抱くに値するものである③その他者の期待を裏切る資格を持っていない」という論理構造で、見事に関係から責務を導出していると評価できる。少なくとも従来の理論に比べて優れた説明だろう。
しかし第一に、やはり還元主義の批判に完全に応答できていない部分がある。筆者は責務を導出するための関係の価値は機能的ではなく、非機能的であることを求めているが、成員資格が非機能的に価値あるという記述は正直証明が足りない。関係が機能的な価値である場合、結局のところフェアプレイ論などに還元されることを危惧しているのかもしれないが、ここであえて関係的責務にこだわる必要はあるのだろうか。「成員依存的理由に従って行為してくれると期待する規範的理由がある」というのが義務の根拠になっているとして、別に純粋に「ある政治社会で法に従って行為してくれるように期待する規範的理由がある」も成り立つ以上、これに単純化して責務を説明する方針も妥当なのではないか。なぜ一度関係を媒介したのか、おそらく個別性要請にこたえようとした結果だと思われるがより詳細な説明が欲しいところだ。
第二に、他者の期待を無視してはいけないという義務が果たしてそれほど強いものなのかもよくわからない。ノージックがフェアプレイ論に対しての批判に用いる「列に並んで後ろの人を笑かし続けてるアレ」とか「町内で交代でみんなラジオDJやる習慣のあるアレ」とかの話はここにも使えそうな気がした。ノージックは「利益を受けているからと言って義務はないでしょ」という目的であの例を出しているが、同じ例から「他者に期待されているからといって義務はないでしょ」とも言えそうである。
ただ人の倫理的直観やよくわからないアナロジーに依拠していた従来の関係的責務論に比べると、他者の期待というそれなりに重みのある正当化根拠を持ち出した点で評価できる。これを関係的責務論に限定して適用する必要は必ずしもないとは思うが、視点の変換という技は時に政治的責務論の新たな地平を開拓しうるかもしれない。