1.毎月の避難訓練が功を奏した 中合福島店

2011 年3 月11 日午後2 時46 分。あの東日本大震災の被災地に建つデパートで
何があったのかを取材する第2 弾。前回は、茨城県水戸市・水戸京成百貨店と、福島県郡山市・うすい百貨店で、復興に向けて励むお話をお伺いしました。今回は、北に上
り、福島、仙台までの取材をご報告します。
福島市・中合福島店。取材したのは5 月23 日。私は3度目でしたが、外観をよく見ると外壁に白いデザインがありました。あれは何だろう?と考えながら入店。お話をお伺いしたのは、営業本部リーダー、菊田直樹さんです。
福島市は震度5強。思わず体が飛ばされてしまいそうな、強烈な揺れは10 分程の長さに思えた程だそうです。ですが、中合の社員は迅速に、エスカレーターを停止させ、お客様を迅速に避難しました。それには理由がありました。

中合は、毎月1 回避難訓
練をしています。避難訓練の日は、毎月11 日の開店前。火災訓練、地震訓練を交互に
行っており、2 月は火災訓練でした。
つまり、3 月11 日の開店前、地震訓練を行っていたのです。こんな偶然はあるでし
ょうか?その為、「本番が来た!」という感覚で、2 時46 分の地震は迅速に対応でき
たそうです。天井が落下するなどの被害はありましたが、けが人はいませんでした。
地下の食品フロアでは、従業員の咄嗟の判断で、揺れながらもプラスチックの買い物
籠をお客さんに配り、落下物が命中しないようヘルメット代わりに配りました。マニュアルにはない事だったそうですが、お客さんの安全第一を考えた素晴らしい判断だと思
います。
中合は福島駅前に立地します。帰宅できないお客さんがいましたが、車以外のお客さ
んにはタクシー代を負担し、送りました。
商品が落下し、什器が崩れた店内を見て、菊田さんは「再開までは1 か月は無理じゃないか」と落胆したそうです。しかし、福島県民の事を思い、3 日後の3 月14 日、
店頭にて食品と生活雑貨品の販売を開始しました。コンビニに全く商品がない非常時で
ありながらの販売。口コミで「中合が商品を売っている!」という情報が広まり、店頭
にはたちまち行列が出来たそうです。

震災から5 日後の16 日には、地下食品フロアと学生服売場が再開。福島市内はス
ーパーマーケットも開店できない状況の中、物流ネットワークを駆使した営業再開でし
た。学生服売場には1000人のお客様が来店。混雑を防止するため入店制限を行った
ため、購入するのに5~6時間かかったそうですが、お客さんは誰一人苦情や文句を言
わなかったそうです。菊田さんは「その心が東北人の素晴らしさなんです」と語りまし
た。24日には1号館がオープン。化粧品や玩具が売れたそうです。現在は2号館も再開し、

震災前とほぼ同じとなっています。

しかし、福島は原発問題と戦っています。菊田さんはお子さんがいるそうですが、外で遊べないし、

窓を開けれないし、洗濯物も外に干せません。水道水も飲まず、ミネラ
ルウォーターで生活しています。店内の売り上げは好調だった日もありますが、県内の
観光客は激減。桜が満開の花見山公園は、悲しいほどほとんど人がいなかったそうです。
しこれからは、お客さんの放射能に対する安全と、社員の安全を考えながらの経営とな
りますが、そんな先が見えない状況の中、菊田さんは言います。「お客様が外出されな
い状況でも、中合は答える」と。今回の震災で、菊田さんは、お客様とのつながりの大
事さを再認識したそうです。そして、毎月11日に避難訓練をしていた結果が、お客さ
んに安心を与えました。日頃の訓練は絶対だと、菊田さんは言います。
最後に質問しました。「外観の白い模様は何ですか?」菊田さんはこう答えました。
「福島市の木、ケヤキです」と。本当に、いつも福島を考え、福島を愛するデパートで
す。

2.小売りの使命は… 仙台三越
福島の取材から1月後の6月24日、宮城県仙台市へ向かいました。仙台市の一番町
に建つ仙台三越。お話をお伺いしたのは、取締役総務部長の戸田哲郎さん、営業統括部広報担当課長の

相原由香さんです。

仙台三越がある仙台市青葉区は震度6弱。戸田さんは三越付近の信号にいて、揺れで立っていられなくなり、柱にしがみ付かなければならない状況だったそうです。急いで本館に向かったところ、避雷針が折れる瞬間を肉眼で確認しました。ですがお客さんは無事でした。毎月フロアごとに行う避難訓練により、迅速に避難誘導しました。

店内では本館5階の紳士服オーダー売場でスプリンクラーが作動し、店内が水浸しになりました。

什器なども崩壊しました。
しかし、なんと翌日のお昼12時から店頭で生活用品、食品を販売しました。コンビ
ニが閉まっている状態。市民が食品を探すものの、販売する店がなく、市内を彷徨うような状態だったそうです。「この商品を購入しなければどこで食べ物を購入するのか。」
それほど、ライフラインが完全に途絶えた仙台市内は過酷で悲惨な状況でした。
そんな中での店頭での営業再開は、どれほど仙台市民に勇気を与えた事でしょうか。
そして震災から3日後の14日には、地下食品売り場を再開。昼間の数時間という短い
営業時間にも関わらず盛況。生活用品は、カセットコンロが売れたそうです。今まで仙
台三越でカセットコンロを大々的に販売した事はなかったそうです。
同時期、仙台三越には、三越伊勢丹ホールディングスからの救援物資も届きました。
地域に貢献する三越は、名取市や多賀城市などの避難所に届けました。また、九州のデ
パートからは、トラックに乗って救援物資を届けてくれたそうです。
「九州の皆さんには本当に感謝しています」と、戸田さんは語ります。
3月26日には建物の補修を終え、全面開業。
4月26日には「北海道物産展」が開催されました。まだ仙台空港も再開されていな
い状況で。北海道から仙台まで直行便が無い状況にも関わらずです。これは、物産展の
人々が「なんとか東北復興に貢献したい」という熱意があったからこそ実現したのだと、戸田さんは言いました。
5月号でも記しましたが、「株式会社三越100年の記録」によると、昭和20年7月10日、仙台三越は空襲により全館消失。しかし、その20日後の8月1日には、1階のみ復旧して営業再開とあります。この時、仙台市民に
とって希望の星だったに違いありませんが、戦後60年以上たった今、震災が起こり、同じように仙台三越は希望の光となりました。
戸田さんは言います。「食べるものがない、着るものがないという状況にしてはなら
ないのが、小売りの使命です」と。そして、営業再開したとき、お客さんに言われた「開
けてくれてありがとう」という言葉は、一生忘れないでしょう…と。

仙台では、来月号にて、さくら野仙台店、藤崎、藤崎気仙沼店の取材を掲載する予定
です。実は、津波の犠牲者の多い宮城県のデパートの取材では、従業員の方、パートの
方で、お亡くなりになった方がいらっしゃる事を知りました。
大事で愛おしいデパートで働かれる方をお亡くしになるのは、各店舗、想像を絶する
お辛い気持ちだと思います。そして、この震災で犠牲になった方は、同時に大事なお客
さんが多くいらっしゃるのです。子供のころからそのデパートに通い、人生の節々で、
そのデパートで買い物をし、共に歴史を歩んだような、濃密な関係を築いたお客さんを
亡くされているのです。今でも、大事な人を亡くした遺族の方、家が流され避難所で生
活する人が、様々な感情を持って来店されています。尐しでも東北地方のデパートが、
被災にあわれた皆さんの心に温かい火を灯す存在でありますように。心よりご冥福をお
祈り申し上げます。それでは、次号も仙台のデパートを巡ります。