惜しい映画『ダドリーの大冒険』 | 映画のデス・ロード

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今回特集するのは『ダドリーの大冒険』という映画です。

DVDパッケージ。BOOK・OFFで10円でした。

日本ではビデオスルーの作品なので、観ている方もあまり多くないかもしれないですが、どうやらアニメーションが原作のようです(僕は全く知りませんでした)。

これが大傑作……になるポテンシャルを秘めていた作品なんですね……。

原題は、主人公の名前をそのままとって“DUDLEY DO・RIGHT”です。
そんなダドリーはちっちゃな頃から騎馬警察官になりたかった男の子。
念願かなって小さな町を任されるも、ドジばっかりで踏んだり蹴ったり。

一方その頃、幼馴染みの悪党スナイドリー(ドックオクになる前のアルフレッド・モリーナ)が町の人たちを追い出してゴールドラッシュをでっち上げ、自分の欲のためだけに金儲けをし始めた!

それに立ち向かうはわれらがダドリー!
……のはずが、愛馬も制服も失って、彼が思いを寄せるネルもスナイドリーに奪われちゃったからさぁ大変。

果たしてダドリーは正義を貫き、正しい行いを全うできるのか!?


と、あらすじだけ読めばめっちゃ熱くて泣ける話になりそうな本作。
しかし、その燃えるポイントをことごとく外しているので本当にもったいないんですよ!

まずこの作品、全編ダドリー目線で話が進みすぎているんです。
なのでスナイドリーのでっち上げゴールドラッシュの悪事で困る民衆の描写が薄く、
そのためいくらドジでもダドリーが必死に頑張っても「でもみんなそんなに困ってないみたいだし……てか逆に活気溢れる町になってるからいいじゃん」と思ってしまうんですね。

こうしてすべて失ったダドリーは、飲んだくれポケモンマスターのキムさん(モンティ・パイソンのエリック・アイドル!)から、"危険な男"として悪事を働くことを学び、スナイドリーの隠していた金を奪ってゴールドラッシュを仕組めなくしたり(まぁこれはいいことか)、
トイレットペーパーでスナイドリーの庭をめちゃくちゃにしたりします(これは悪い)。
この悪事の延長線上でネルが彼に心を奪われるという、DO RIGHT(正しい行い)のかけらもない話でした。

しかし原作のアニメでは、ネルはダドリーのことを"いい人過ぎて愛せない"と思っているらしく(Wikipediaにそう書いてありました)、
まずは悪党スナイドリーに惹かれ、次に悪事を働くダドリーにさっさと乗り換える展開は、まぁ原作通りなのかもしれないとも思います。

だけどそれなら“ネルは悪い男が好き”という描写をもう少し入れないとダメ
展開が唐突すぎてネルが尻軽にしか見えないのも問題だと思います。

そうしてネルを取り戻し、なし崩し的にスナイドリーと対決することになったダドリー。
そしたらどこからともなく、さっきいなくなった愛馬(名前はホース)も、なんかいきなりポッと戻ってくるのです

このホースの帰還が全く意味をなしていないのがもったいない!

騎馬警察隊の装備である制服や馬を無くしても、ダドリーが正義の心を失うことはない!
その心を持つことこそが、警察隊に一番必要なことなのだ!
それでこそDUDLEY DO・RIGHT(正義のダドリー)なのだ!

みたいなことにダドリーが気づいたときに、ホースがパパーンと戻ってくるとかそういう演出があったらもう大号泣でしたよ

実際、クライマックスのスナイドリーの戦車軍団 VS ダドリー&ホースのバトルの迫力は凄かったし、倒れてもまた立ち上がるホース、そしてダドリーはめちゃくちゃカッコよかったから、それだけにもう本当にもったいない。

すごく馬鹿馬鹿しい展開でわざとらしいかもしれないけれど、アニメをそのまま再現したようなコテコテのギャグを全編に散りばめているし、そもそもアイコニックすぎるキャラクターの名前をそのままタイトルに引っ張ってきてるならば、こういう正義の行いも大仰でストレートでやりすぎなまでやった方が絶対いいと思います。

この作品の持つ、善人と悪人というテーマが演出で霞んでしまっているのは事実ですが、その中でも考えるべきテーマについて話すセリフが興味深かったです。
中盤、キムさんが、すべてを無くしたダドリーに話すシーン。

キム「スナイドリーという悪人が活躍し、お前(ダドリー)という善人の立場が悪くなってる。つまり比較の問題なんだ。だが悪人が活躍しても善人とは限らないし、立場が悪くなっても善人は悪人じゃない」

実際はこんな善悪二元論的に分けられるものじゃなくて、もっと複雑だとは思います。

例えば、普段いじめっ子のA君が募金活動に協力したのを見たとき、募金してもらった人からはA君はいい人に見えるでしょう。
しかしA君にいじめられた経験のある人々がA君の募金を見かけたら、
「アイツ普段はクソ野郎なのに偽善者かよ」と思うことでしょう。
しかしいくら「偽善者」と思われてもA君の“募金活動に協力した”という行為自体は誰が見ても善行だし責めるべきことではない。
でも普段の行いは最悪だし……と、頭を悩ませる問題です。

もちろん殺人や誰かをいじめるとかは絶対にあってはならないことなのは、改めて書くまでもないくらい明らかですが、
善悪の曖昧な部分は、それぞれの人柄だったり普段の行いだったりから判断されることだとも思うし、そこに明確な基準がないのでまたややこしい。
きっと「これが絶対正しい!」という答えはないでしょうし、強いてあげるなら「ケースバイケース」なんじゃないでしょうか。

『ダドリーの大冒険』という映画は、アニメをそのまま実写化したような、バカバカしくも体を張った面白いギャグが全体にちりばめられており、笑って楽しく観られるけれど、しかし本作の内包している善悪のテーマは、非常に興味深いものでした。

映画的なカタルシスと盛り上がりがあれば大傑作確定でしたが、サクッと観るのにちょうどいい本編88分(そのうちオープニングのアニメが約5分、エンドクレジットが約6分なので実質77分)。

お時間あればパパっと観てみてもいいかもしれないし、観なくてもいいかもしれないです!



あと、なんで悪い奴ほどよくモテるんでしょうね。

確かに本作の例で言えばネルはダドリーがいい人過ぎるから悪党スナイドリーの方を好きになったという理由があるし、今回は特例かもしれないですが、みなさんのまわりにもいませんか?
「なんであんな奴がモテモテなんだろう」って思うような奴?

僕のまわりにも

・自転車で後ろから追突してくる
・友達の牛丼(大盛)に大量の紅ショウガを乗せて困らせる
・友達のドリンクに大量の唐辛子パウダーを入れて困らせる
・自分が使わないコーヒーに入れる用のミルクを相手に飲ますことを強要する
・酔って隣の席の見知らぬ女性客に聞こえるほどの声量で「お前彼女いないんだからナンパしろよ。ほら」と言い出す
・駅のホームから人を落とそうとする

その他数えきれないほどの危険行為・迷惑行為をしながら、
1年半の間に3人の彼女を持ち、それもすべて相手側から告白される形で付き合い出した、という奴がいます。

とはいえそれもすべて本人から聞いた話なので、どこまで事実かはわかりませんが(妄想と現実の区別がつかなくなっている可能性もある)、
もし仮に万が一それが事実だとしたら僕には全く理解できないです。

なんでこんなにも人気があるのだろう。

アイツからすれば嫌なことするのは自分より下にみてる奴だけ、女の子の前ではねこをかぶっていい奴ぶっているのかもしれないし、
女性からすればアイツが過去の悪事を武勇伝的に自慢しているその悪い姿に惹かれ惚れたのかもしれない。

確かに映画の世界では、悪役が魅力的に見える場合も往々にしてあるし、
「正直者がバカをみる」ということわざがあるように、普通の人の方があれこれ思い悩み苦心していたり、本作のダドリーのように文字通りおバカに描かれたりする場合があるのも事実。

彼のモテモテエピソードに関して言えば、どんな人と交際しようが相手の自由だし、個人の自由だし、そもそも相手は僕と全く面識のない方なので
(とはいえ電話で話したことはあります。「俺の彼女だから電話出て」とスマホを渡されました。意味わかんないですよね!)、
僕がどうこう言う筋合いもないんですが、1年半の間で3人と付き合うってことは、その期間で2人と別れているということ。

そのうちひとりとは「思っていた人と違った」と言われて別れを切り出されたらしいです。

比較的短期間の間で相性なり何かしらの問題点が見えたのでしょう。

ねこをかぶっていたっていつかは化けの皮が剥がれるんだということがよくわかりました。
どんな人が好みかは人それぞれあると思いますが、
いい人のほうが絶対いいと思いますよ!

ブログで人の悪口書いてるような奴(俺)に言われても説得力がないけども!

「お互いにエクセレントであれ!」ってビルとテッドも言ってたし!