なんとなく生きてますよ。はい。

 

いい事無さすぎて、絶好調ですよ。

 

そら~もうね。あれですよ。

 

いくら頑張っても報われないのでね。

 

涙も出ないわ、呆れて笑ってしまう。

 

 

収入が上がれば上がるほど

 

支払いが多くなって

 

終いには20万超えちゃうわ。

 

 

まともに喋る人もいなきゃ

 

当たり前なことしか

 

言ってこない人しかいなくて

 

話をしているだけでマンネリしてしまう。

 

 

なんも刺激がない割には

 

自分のやりたい事には規制がかかっていて

 

何一つ満足して迎えた一日がない。

 

 

『当たり前』なことをして

 

いつも通りの話をして

 

毎日が消化試合。。

 

 

それを周りの人から

 

『一所懸命、頑張ればいい事ある。』って

 

何かある度に、言われ続けて

 

体、壊す手前まで頑張っても

 

結局、今まで何も変わらない。

 

 

むしろ、年々

 

身の負担が増えてきては

 

リスクが桁違いに高くなってきてる。

 

その状況に毎年笑いながら

 

年越しを迎えた瞬間に

 

途方に暮れる自分がいる。

 

 

・・・だってさ。

 

地元に帰ってきてもうすぐ7年経つけど

 

月を跨ぐ度に

 

自由が失われていくのが

 

目に見えてわかるんだもの。

 

 

孤独が寂しいわけじゃない

 

仲間がいないわけでもない

 

必要なものは揃っているはずなんだよ。

 

 

失くしたモノが見えるのに

 

それが触れられないし

 

他人には“不必要”と言われて

 

2度見すればもう無くなっている。

 

 

必要なものがそこにあっても

 

”障害物”は存在すら許してはくれない。

 

 

進む道に”障害物”があっても

 

避けることはしない。

 

でも、すごくいいところで下手くそだから

 

毎回カスってどこかに致命傷がつく。

 

 

気にしてたって治らない(=再起不能な)のが

 

感覚的にわかってしまうんだろうね。

 

 

陰で支える人はいても

 

助けてくれるわけじゃないから

 

結局、辛い時は必ずひとりだから

 

耐えるのなにも。ね。認めないとね。

 

 

やった瞬間に呆れて思わず”笑って”しまう。

 

 

『・・・また、やっちまった(笑)』

 

「・・・ここで終わりか。。。」

 

「今回は、いいところまで行ったと思ったんだけどな。。。」

 

「また、一からやり直しか・・・」

 

 

周りが成功して喜んでいるのを見て

 

「よかったね。”やれば出来るじゃん”」

 

そう言いながら自分は遠くで笑ってるだけ。

 

 

たとえ小さなことだって

 

伸ばせる個性は広がる可能性秘めてる。

 

その中でどこを“褒めれば”いいか

 

それだけで人は変わっていく。

 

 

すべてを知る意味を知らない人に

 

同じことを教えたって意味はない。

 

自分の知りたい事にすら

 

相手は興味がないからね。

 

 

大事なのは

 

周りと同じことをしたときに

 

他人と【どう変化】しているか。

 

 

同じ事が”当たり前”と評価されているなら

 

違う事をして同じ事が出来れば

 

周りからしてみれば”異常”に見られる。

 

 

同じ事を同じ時間で

 

~ できる・できない ~ で

 

評価している人が【偉い】というのなら

 

≪ 周りと違う事をしているのに   

 

   同じことが出来ているか? ≫ を

 

判断できる人は”天才”だと思う。

 

 

→さすがにこれは自分、出来ません。。。

 

 

これは人に評価されて初めて気づくことであって

 

自分で気づいた時点で

 

人に教えることが出来てしまうから

 

いくら自分が編み出していても

 

自分の持っていたものにはならないのが

 

描いた夢が泡となって消えていく瞬間でもあって

 

 

~ カタチはあっても、残らない ~

 

つまり、そういうこと。

 

 

 

水が入った風船に針を刺した時

 

『 水の塊が止まって見えたら 』

 

この感覚がわかるかもね。

 

 

 

時間の使い方に決まりはないけど

 

時間に“合わせて”体が動かす事が出来るなら

 

自分の感覚で“時間を作ってみれば”いい。

 

 

それが出来たら

 

それを人に明確に説明してみよう。

 

 

あいまいに覚えているなら

 

説明するのは、とても難しい。

 

 

しかし、これが“無意識”で出来ている人は

 

説明するのも苦じゃないだろう。

 

 

周回コースを

 

“経済コース”で回って

→見本に沿うような最短距離で走行する。

 

同じタイムを10回出すより

 

“ゴーストライン”を作って

→1周ごとに違うラインで走行する事

 

その状態で同じタイムを5回連続出した方が

 

普通に走るより遥かに難しい。

 

 

同じ事をしていたって

 

同じ事で違う事をしていれば

 

評価を求める必要はなくなる。

 

 

勝ち負けも評価もいらない

 

勝手に自分だけで楽しんでいればいい。

 

 

そんなあなたが

 

ひた向きに頑張っていれば

 

きっと誰かが見てくれているから

 

そのうち必ず

 

とんでもない評価してくれると思うよ。きっと。

 

 

まぁ・・・他人事だけどね。(笑)

 

自分には、ありえないことだから。

 

 

 

さんざん人にボロボロに利用されて

 

他人の意見と被らないように考えた事に対して

 

一度も褒めてもらう事がないから。

 

 

理を求めるような期待を持つことは

 

社会人になった時点で、諦めてるから。

 

 

小さな事ではしゃいだり

 

他人の成功ですごい涙もろくなったり

 

大きな幸せなんか必要ないんだ。

 

 

目の前の事で感情表現出来る事が

 

まだ”救い”だと思うから。

 

 

 

”当たり前”をこなす事がどれだけつらいか。

 

変化を楽しみたいというのは

 

周りからしたら“贅沢”なのかな?

 

 

どんな事をしても

 

現実に起こせば実話になるんだろ?

 

それが”ありえない”事でも。

 

 

自分のパレットに載せた絵の具で

 

見慣れた風景になにげなく色を塗って

 

見る人によって色が変わるような事が

 

出来たらいいな。