ぽんこつならポンコツ並みに

天才なら天才並みに

エリートならエリート並みに

争うことなく同じ位置につけ。

 

何度も欲を出したら試合終了。

 

出していいのは1度きりの一瞬だけ。

相手の実力をギリギリ超えるくらい。

 

そこで行けなきゃすぐにその場は流せ。

こっちの手の内を常にさらす必要はない。

 

周りに出来ない事を自分が出したら反則負け。

 

自分が「奥の手」を使って勝っても

それを相手に教えられるくらいでなければ

それ以上に自分で考える事をしなくなる。

 

相手の実力以上の力を出したら

その時点で試合不成立。

 

格下相手に能力に任そうとすると

“足りないモノ”に気付かない。

 

だからといって実力を縛ると

”求めているモノ”が変わってしまう。

 

1つの疑問に2つの答えを用意しろ。

会話のオチを『表裏一体』にするように。

 

自信があるなら力は抑えろ。

障害物がないなら前を見るな。

 

怖いなら目をつぶって走れ。

力があるなら意思に頼らず

惰性状態のまま理性に任せろ。

 

如何に周りと同じ事を“同じくらい”こなすか

如何に“自分のペース”を崩さないようにするか

 

これを意識しないで出来る人は

争い事や勝ち負けには興味がない。

練習は好きだが、試合には興味がない。

 

競う事をすれば失う事が必ずある。

それは"ひとり”で考える事だ。

 

勝てば相手に思考は吸収される。

お互い常に高みを望んで

全力で挑んで負ける得る事を望む。

そこで負ければ相手の思考を吸収する。

 

そんな事をしてるうちに

似ている思考の人間が増えていく。

見ている方がうんざりして飽きてくる。

 

何処を向いても意見は同じなのは

“正しい”と思う答えが1つしかない事だ。

 

なんで、2つ目を考えようとしない?

それは考える事が面倒だから!

 

”得た知識だけ”でどうにかしよう!

だったら意見をぶつけて決めよう!

 

“対抗”して得るものに自由はあるのかな?

求める事は「相手の意見」ですか?

 

 

間違った意見ほど、面白いものはない。

あり得ない”ような”事を考えるほど

天才は見た目以上に何も考えちゃいない。

自由に物事を考えるのは良い事だ!

 

 

土に種を植えて水をかけ

そこから芽が出て2枚の葉っぱが顔を出す。

どんな花が咲くかは別として

 

~ どう見せれば“キレイ”に見えるかな? ~

 

この後の成長も会話も関係も

見せ方が変われば印象も変わってしまう。

”何をどう扱うか?”で育つものは変わっていく。

 

アドバイスのような横やりなんていらない。

好きなように育ててくれればいい。

 

その光景を黙って眺めているだけで

人生経験は自然と増えていく。

その景色を覚えていればいいだけの事。

 

 

世が求めてるのは

世界を拡げようとする『博識』ではなく

相手に自慢できるような『常識』なんですかね。

 

個性を持つ人間というのはどこへやら。

自由を求めている人はどこを目指すのやら。

 

 

・・・・よし。寝よう。