思い出ってのは
これでいいと思えば残る。
たとえそれが未練があっても
きっと大事なものと”定義”されるから。
…でも、実際は毎回
ぽっかり穴が開いている。
・・・そりゃそうだ。
【自分の物をすべて処分して空にした】物置を
無償で人間に“貸してる”んだ。
貸したものは還っていく。
そこにカタチなんてないんだ。
自分のスペースに他人が物を置いていく
中にはキレイに飾っていく人もいる。
自分のモノは、何一つ置いていない。
しかし、他人は気に入って帰っていく。
しばらくして周りと疎遠になり
置いてある物を全て返して
元通りに片付ける。
そこにはいつも何も残らない。
そこにあった思い出も経緯も
すべて残る事はない。
記憶は何度も塗り替えられる。
カタチ残らず物語だけを残して。
同じものは、二度と経験することはない。
同じ運命を同じ容量で書き換えているだけ。
同じ器に同じ物をお供えする
まるで墓前の前に立つみたいに。
起承転結を知っているから
先を見るのが怖くない。
むしろ、切なくなってしまうくらい。
「このタイミングでこうなって・・・」
運命には逆らわないで着のみ着のまま
『こうなったらこう返して・・・』
ただ、邪魔をしないように必死で
『じゃあ、このタイミングで・・・』
身を引いてその場から静かに消える。
そんな人生、そんな運命。
自分の人生を使って
他の者の"流れるもの”に寿命を奪われる。
これが”人間”の求めている生き方。
知っているから無意識にやっているだけ。
それをしなければ何も残らないだけ。
差し伸べてくれる手に触れては
相手を大やけどさせて
周囲から疎遠されては
自分が得た知恵を
勝手に流用されて名を得た
鼻が高くなった人間達を尻目に
笑いながらその場を去って
気づけば誰もいない畑でひとり
夜空見上げて星を数えてる。
「・・・心配すんな。もう、そこには行かねぇから」
「・・・これで、何人目なんだか。」
『・・・早く終わんねぇかな。人生。。』