好きなモノを好きというなら
自由なものを自由につかいたい。
規則なんていらないんだ
作るから嫌になるんだ
興味があるものは大事にしよう
必要ないものは捨ててしまおう
無理にヒトに合わせなくたっていい
やりたいことを自由にした人が好かれる。
嫌われる必要も好かれる必要も
真の意味を知らないで自責として問うなら
それはただの生き恥。
立ち位置を知らずして行う行為には
1の利もなく、10の犠牲を伴うだけ
その中で少しでも自分に対して
利を求めようとするならば
その人は必ず“重罪”を課せられる事になる。
ヒトを“だます事”は簡単な事
信じさせればいいのだから
出来ない事をすればいいんだから
《出来るやり方を教えてあげればいい》
あとは自然に犯罪が増えるだけ。
ヒトはいくら死刑で殺せても
遺した“技術”は一生消えない
なぜ、遺したものは消えない?
必要としている人がいるからでしょ?
でも、それを抹消しようとしている組織があるもんね。
それがあると『誰もいう事を聞いてくれなくなる』もんね
《自分たちのいう事を聞いてほしい》んだもんね
“誰も俺達に逆らうな”って意味のルールだもんね。
じゃあ“遺していったモノ”ってなんだろう?
・・・求めていたものではないのかな。。。
・・・何か…隠しているんではないのかな。。。
そうなんだよ!! きづいてよ!!!
どうして《遺したモノ》は“残った”んだ?
誰もがしている事なんだ。
誰もが#望む#事なんだ。
そして・・・
誰もが知っている事なんだ。。。
誰もが権利のある事だから
権利を持てる条件をつけたのが《法律》
これを犯せは罰が待ってる。
すなわち誰でも起こる事を
強制的に抑えている訳だ。
どこかで大爆発は起きる。
それを知っているのは何故だ?
そして、世には知らせもないまま
世を動揺させている間に
答えをそろえて新たなルールを作る。
いわゆるWindowsの無限アップデートだ。
容量だけ増えていって
『削除される項目を作らない』
そして“ウイルス”は何故作られた?
きっと“ウイルス”をつくった人には
“中身があるもの”に殻(ルール)があるから
頑張って破ろうとしている最中に
《その中に何が入っているのか?》が
わかってしまうもの。
見えたものをどんどん隠すなんて
オトナのやる事じゃないのにね。
それを公に“真実”として見せるために
“技術”は手を貸すんじゃないのかな。
すごいことだね。感心する。
もっとやっちゃえ!
めちゃくちゃにしちゃえ!!
誰もが求めている事はその先になる。。
正義の味方をいっぱい作りたいなら
つまり、、、そういう事になる。
本をめくって文字を読む
それを覚えて知識とする。
それが一般常識というなら
読んだ後のメッセージは
『感想』になる。
本をめくって文字を見たときに
『どうしてこの人の本は
こういう書き方になるんだろう?』と
疑問に思った人がいるなら
見終わった後に感じるのは
今の世に対する『真実』になる。
規則の中で見つける幸せに満足なら
奇跡が生まれた瞬間は必要ないもんね
欲しいものを手に入れたいなら
ほかの人の幸せを奪えばいい。
時間も手間もかからないし
求めているもの以上の利は返ってくるから。
『それは違う』と定義してくる人は
果てを知る者からすれば“大嘘つき”
一度生まれた案件に
違うものなんて滅多にないんだ。
正直、全部が似ていて
伝えるカタチが違うだけ。
ベースがあるからモノが生まれる。
“違うもの”と定義するなら
ベースがあるなら
ギターを持って音を鳴らせ!!
ピアノを使ってメロディを創れ!!!
ドラムを使ってリズムを奏でて
そして
声を発して今を伝えてみろ!!!!
“新しいもの”は手間がかかるもんだ
本気に取り組んでいるものに関して
その作業工程を見ているだけで
胸が躍るもんだ。。。。
刺激を求めるなら
危険な事を楽しめるくらいの
大きな心臓がないと
耐えきれなくて破裂してしまう
クスリでも治らないものを
諦める事は簡単な事だ。
治らないとわかっているなら
次に動く道は“創る”事だ。
それを規制してるのは
新たなものを作る事を恐れた
みんなでつくった“世の中”だ。
立ち向かえば反逆者になる
立ち止まれば、ただの奴隷生活。
平和な日常の中で常に戦場の真っ最中。
戦いの中で秘めた思いに
誰もが主張できるような
“平和”という権利。
“守られた”世界の中で
“限られた”時間の中で
“覚えた”言葉の中に
“秘めた”胸の中に
“見えた”現実のカラクリ
“触れた”パンドラの箱の中身。
開けてごらんよ
求めていたもの、全部あるから。
どう使うか・・・それは“自由”だ。。。