【タブー】世界を震撼させた芸能界凶悪犯罪10大事件簿【芸能人噂の真相】 | 自由・気ままにアップ★R†KAのブログ

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好きな作品・商品等を少しづつですが紹介して、皆様に見ていただき、読んでいただけたらと思っています。

『ホラー』『ガチャガチャ』『ミニチュアフード』が大好きです❤️
宜しくお願い致します!(*^-^*)


美空ひばり『塩酸事件』


1957年1月13日、浅草国際劇場にて、ショーを観に来ていた少女から塩酸を顔にかけられ浅草寺病院に緊急搬送されて入院。

その後、歌舞伎座公演に復帰(奇跡的に顔に傷は残らなかった)。塩酸をかけた少女はひばりの熱烈なファンだったという。現場に居合わせたブロマイド業者らによって犯人の少女は取り押さえられ警察に突き出された。



津川雅彦【娘誘拐事件】

1974年8月15日午前3時、東京都世田谷区の津川雅彦・朝丘雪路宅2階から長女・真由子(まゆこ・当時生後5ヶ月)が誘拐され、身代金400万円が要求される。

犯人は身代金を第一勧業銀行(現:みずほ銀行)の偽名口座に振り込むことを要求、津川は警察の指示に従い当日に150万円を指定の口座に振り込む。
犯人である23歳の男性は、当初、佐川満男・伊東ゆかり夫妻の長女を誘拐する予定だったが、住所がわからなかったため、津川夫妻の長女に変更した。人質は犯人の家である千葉県我孫子市のアパートにおり、同日午後7時15分、41時間ぶりに発見され無事に保護された。

その後の捜査で、犯人は津川の家庭状況や自宅の住所・間取りなどの知識を週刊誌等で得ていたことが判明。裁判では犯人に懲役12年6ヶ月が確定した。



鴈龍太郎【斬られ役 殺害事件】


1988年12月26日、『座頭市』の撮影中、立ち回りの場面において、斬られ役の俳優に誤って重傷を負わせた。その後、俳優が亡くなった。

撮影現場関係者らと共に広島県警から業務上過失致死罪の疑いで事情聴取を受け、奥村の使用した日本刀が撮影用の模擬刀等ではなく真剣であり、それが首を斬りつけていたことが判明した。お蔵入りが懸念された『座頭市』は公開されたものの、奥村は以後謹慎生活を送ることとなった。
父は勝新太郎、母は中村玉緒。



高島忠夫【長男殺害事件】

1964年8月24日の未明、俳優・高島忠夫方より警察及び消防へ「息子が風呂に沈められ、部屋が荒らされている」との通報があった。

犯人は家政婦。もともと高島夫妻のファンであり、地元の新潟県の中学校を1963年に卒業してから都内の墨田区にある会社で仕事をしていた。そして、この墨田区にある会社にたまたま高島夫妻の知人がいる縁で、1963年暮れより高島夫妻宅に住み込みで家政婦として働くこととなった。
犯行理由は嫉妬、高島夫妻に長男が生まれた後は「長男へ愛情が移ってしまい、自分は疎遠に扱われるようになった」「他の家政婦へはお土産を買ってくると約束していたのに、自分は何も言われなかった」として思い悩んだ末に犯行に及んだという。



大竹まこと【衝突事故】

1996年、東京都杉並区内の交差点で乗用車を運転中、隘路から進行してきた大竹の車に二人乗りオートバイが車体横に衝突。

バイクを運転していた男性は頭を強打し、事故の翌日死亡。後部座席に乗っていた女性も全身を強く打つ怪我を負った。この事故で大竹は一時的に芸能活動を自粛するが、約2週間後に復帰している。



佐々木つとむ【殺害事件】

1987年9月4日夜、当時佐々木が同棲していた東京都板橋区高島平の39歳女性宅において刃物で刺されて死亡。

佐々木は1987年4月頃に家を出て、新宿のポーカーゲーム屋で知り合った女性と同棲していた。女性は、佐々木の借金の一部を肩代わりしていたが、それでも足りないと佐々木がさらなる金銭を要求したため、二人の仲は次第に険悪になっていった。

事件当日、女性が飼っていた犬を佐々木が殴って骨折させたことがきっかけとなり、女性は佐々木の全身を刃物で刺して殺害した。犯行は突発的だったらしく、事件現場に残された遺書には「私がお父さんを殺すなんて夢にも思わなかった」と書かれていた。

女性は2日後の9月6日に青森県むつ市大湊の陸奥湾で入水自殺しているのが発見された。



力道山【刺殺事件】


1963年12月8日に、暴力団住吉一家傘下の大日本興業構成員であった村田勝志と足を踏んだ、踏まないで口論になり、馬乗りになって殴打したところ、村田に下から登山ナイフで腹部を刺された。自ら持ちかけた喧嘩ということもあり表沙汰にはせず、知り合いの勤める山王病院に入院。12月15日に化膿性腹膜炎で死去した。

7日目に腹膜炎による腸閉塞を理由に午後2時30分再手術。これも成功したと報告されるが、その約6時間後午後の9時過ぎに力道山は死亡した。死因は正式には穿孔(せんこう)性化膿性腹膜炎とされている。
しかしながら他にも諸説ある。ある説は、手術の際、麻酔を担当した外科医が、筋弛緩剤注射した後に気管内チューブの気管挿管を失敗し窒息したという医療事故のためという。



克美茂【愛人刺殺事件】


1976年 愛人を殺害。懲役10年の実刑判決が下った。

1976年(昭和51年)5月8日、羽田空港の駐車場に止めてあった乗用車のトランクから血がこぼれ落ちていたことから、元クラブホステスで克美の借金返済のためソープ嬢となった愛人の岡田裕子(35歳)の死体発見。犯人は愛人で歌手の克美茂(当時38歳)で、別れ話のもつれからカムバックの足手まといになると思い殺害。8月、懲役10年の判決が下った。
出所後、悔恨の念から写経を続ける他、地域の行事にも参加している。



西川和孝(子連れ狼の子役)【貸金業者殺人事件】

1999年11月30日金銭トラブルから、知人の金融業者を殺害。

タイに逃亡するも強制送還され、逮捕。2000年10月3日、新潟地方裁判所で無期懲役の判決が下され、2012年現在服役中。



梶原一騎【愛娘(白暁燕)誘拐殺害事件】

1997年4月14日 身代金受け渡しの失敗し梶原一騎の長女が誘拐され犯人グループに殺害された。

日系を嫌悪する外省人(在台中国人)系のマフィアにとって、格好の標的となり。1997年4月14日に誘拐され、その後、無残な虐待のすえ惨殺された。事件の背景は、通学途中に誘拐され、犯人グループは、直後から輪姦・暴行を加えるとともに、左手小指を切断した。さらに、母冰冰の元に暁燕の半裸の写真と、彼女の切断された小指を送りつけ、500万アメリカ合衆国ドルの身代金を要求した。
しかし、身代金受け渡しに失敗し、激昂した犯人グループは、腹いせにさらに凄惨な輪姦・集団暴行を加えて暁燕を時間をかけて惨殺し、遺体の手足を角材で縛ったうえ、重しをつけて台北近郊のドブ川に遺棄した。