自分から命を断つというのは、どうゆうことなのだろう。
学生の時分に、列車に乗っていた際、突然ものすごい高音で「キーン」と頭の中に鳴り響いたことがあった。
その瞬間、私は直感した・・・「飛び込み自殺」
案の定、その10分後に何台ものサイレント音と共に窓の外が赤色灯でチラチラになった。
あの瞬間は今でも思い出せる、山の上や飛行機に乗った時になる、あの耳鳴りのような強烈なものだった。
運命論や宿命論、輪廻転生など、いろいろな考え方がある中で「自死」について「確かに!」と納得できる考え方には未だ出くわしていない。そもそも私自身は「生」にたいして「生かされている」という前提で考えている立場からすると「気持ちは全く分からないわけではないけれど、でもどうしてだろう」という結論に至ってしまう。
私はただ自分が自死するイメージをするだけでも、怖い。
それは、その後の世界が怖いのか、その瞬間の痛みみたいなのが怖いのか、それとももうこの世界にはいられなくなってしまうのが怖いのか。
その中でも特に「痛み」が怖い。
果たして「自死」を選んだ人は、本当にそれを選択したのだろうか。
「自死」もまた運命の1つなのだろうか。
そうゆう宿命なのだろうか。
さっぱり分からない。
落語の話のように、本当にローソクが消えたら寿命が来るのだろうか。
それとも、この世界に失望し、絶望し、希望を見いだせなくなってしまった結末なのだろうか。
だとしたら、その寸前の人はたくさんいるような気がする。
何を隠そう、この私も今はそのような気に入り浸っている。
何がそんなに楽しいんだろうか?
生きていて何が幸せなんだろうか?
生きていることは丸儲け?
どこが?
何をもってそんなに楽しいことがあるんだろうか?
かつての私にはそれを手放しで喜んでた無神経な自分がいたことも確かであるけど
でも、その頃に戻りたいとも思わないし、戻ったところで・・・と思ってしまう。
冷めきってしまったのが正直なところ。
ヘラヘラと愛想笑いも浮かべない。
面白くなければ笑わない。
むしろ、余計なことが削ぎ落とされて、自分に正直になっているのかもしれない。
その最たるものが「死」なのかもしれない・・・と、このブログを書きながら思った。
何かの核心にせまることができたとき、そのときに本当の「死」が訪れるのかもしれない。
だとしたら、その日が来るのは楽しみだ。
その日に何を感じるのか、楽しみだ。
むしろその日からが楽しみだ。
やはり「死」を考えることは面白い。
実に有意義だ。