これ、私も最近気付いたことなんだけど、
「頑張ってるのに報われない」
 
っていう気持ちが、
昔からずっとあって。
 
同じように行動してるはずなのに、
あの子はすっごく楽しそうで結果も出てて、
 
それこそ、
私はあの子よりも行動してるのに
なんでこんなに結果出ないの?なんで?
 
って、
 
楽しそうに、生き生きと
自分の道を歩いている友達を見て、
眩しくてたまらない時があった。
 
奨学金借りて、
死に物狂いで働いて、
短大の費用も、
自動車学校の費用も、
全部自分で出して、
一人暮らしも自分で決めて、
自分の意思決定で
生きてるつもりなのに、
いつもずっと苦しくて。
 
楽しそうに生きているあの子たちと、
何が違うの?
なんでこんなにも人生違うの?
って、
ずっと疑問だった。
 
最近、答えが分かって、
 
私は私を生きているようで、
親の望む理想の子ども像を生きてた
 
っていうことに気付いたんだよね。
 
 
頭の中に親が存在していて、
その親が望む理想の子どもになろう。なろう。
って、ずっと頑張ってたの。
 
「学校の成績は校内5位以内に入りなさい」
「これくらい成果出せるでしょ?」
「スマートに物事を進めなさい」
「優秀でありなさい」
「成果を出しなさい」
 
私の母は、私が優秀であれば幸せになれる。
って、きっと思ってたと思うんだよね。
 
私の人生が不幸なのは、離婚したのは、
お前のせいだ。と呪詛を吐きながら、
 
私(母親)を幸せな気持ちにするために、
私の望む人間になりなさい。って、
今思うとずっと強要してた。
 



できない自分を責めているけど、
そのできてない基準ってどこから来てるか
考えたことありますか?私は母親だったよw
 
 
 
 
私を見ているようで、
全く私を見ていなかったんだよね。
 
見ていたのは、”理想の子ども像”
 
ありもしない存在。
 
 
細かく日常生活を観察していくと、
自分の意思で決めたつもりで、
本当の本当は親の言葉を採用してる。
ってことに気付いた。
 
 
例えるなら、
スーパーに行って、
「ハンバーグ食べたい!」と思って、
お惣菜コーナーを覗いたはずなのに、
値札が貼られている焼き魚を見て、
「安いからこれにしよう」
って、無意識に選んでるの。
 
…いやいやいや!!!
ハンバーグどこいった!!!🤣🤣
 
ハンバーグ食べたくて、
お惣菜コーナー見に行ったんとちゃうんかい!
ハンバーグ食べたいっていう、
本音どこいった🤣❣️❣️❣️
 
 
 
ふと立ち止まって、
自分に「なんで魚にしたの?」って聞くと、
「安いからこっちにしておきなさい」
っていう親の声(エゴ)を無意識に、
チョイスしてたんだよね。
 
怖くない?!🤣❣️❣️❣️❣️
 
 
だからね、
彼女たちみたいに
”生き生き過ごせない理由”が
この時に分かったんだよね。
 
自分を生きているつもりで、
本当の本当は生きてなかったの。
親の望む子ども像だったり、
親の価値観・信念を無意識に
選択してたの。
 
 
だからね、
感情にフォーカスするって、
すごい大切なことなんだよね。
頭で無意識に選んでるから、
思考ではいくら考えてもわからないの。
 
でも、感情が必ず教えてくれる。
 
こんなにも頑張ってるのに、
どうして誰も認めてくれないの?
褒めてくれないの?
 
って思うのは、
 
そりゃそうだよ。
 
 
生き生きとしていきている彼女たちは、
本当に楽しくて、それがやりたくて、
ただただ楽しくて、やっているの。
 
 
だから、そこに承認欲求も何もない。
 
ただただ、喜びを味わって生きている。
 
 
 
 
自分の意志で選んでいるようで、
実は親の望むことを無意識に選択して、
親の言うことを優先して生きてるとしたら、
 
自分の気持ちに蓋をして、
ずっと親の言うことを聞いて過ごしてるんだから、
 
苦しくもなるし、認めてほしい。っていう
気持ちが湧いてくるのは自然なこと。
 
 
 
そんな時は立ち止まって、自分に聞いてみて。
 
「何が辛い。って感じてる?」
 
「何が苦しい?」
 
 
 
 
親の望む子どもになれなかったことを、
罪悪感を感じなくてもいい。
 
親の望む子どもになる努力をやめることを、
責めなくてもいい。
 
 
 
欠点があること。
できないことがあること。
苦手なことがあること。
 
 
それらを許してあげてもいい。
 
 
 
 
私たちに完璧を強要してきた親だけど、
そもそも親って完璧だった??(笑)
 
 
 
 
私の親は、そうじゃなかったよ(笑)
 
 
 
 
 
今日も愛を込めて♡
 
少しずつ自分を思い出していこう♡