最近、大学ニュースの編集をしている。
年初に課長から仰せつかって、
卒業式に発行するニュースを全面、
企画から紙面の割付、取材、執筆、あるいは原稿の依頼など、
すべてやらせてもらえるようになった。
この仕事がなかなかおもしろい。
さながら、昨年の冬シーズンにドラマ放映されていた
「働きマン」のデスクか編集長みたいだ。
***
今回、僕が特に力を入れているのが、
卒業生にメッセージを書いてもらおうという企画。
昨年までの卒業式号を参考に、紙面の割付をして、
ほぼ完成したとき、ふと、何かが違うと思った。
それは、「卒業式」号なのに、
普段発行しているニュースと内容があまり変わらない、
つまり、全然「卒業式」っぽくなかったのだ。
その原因を考えた結果、
紙面の構成があまりにも「主役不在」なんじゃないか、
ということに気がついた。
なら、「主役」からのメッセージをたくさん載せようじゃないか、と。
いろいろな部署や先生、時には学生本人達から声を集め、
4人の卒業生を選出して、彼ら彼女らに原稿を書いてもらうことにした。
そして数日後。
4人の学生が提出してくれた原稿を見て、僕は愕然とした。
全然おもしろくなかったのだ。
みんな大差ない内容で、通り一遍のことしか書いていない。
僕としては、この企画を通して、
普段あまり脚光を浴びていなくても、うちの大学に、
こういう個性を持った学生がいたのですよ、
ということを、大学関係者や学生、卒業生の親や社会の人に
見てもらえたらな、と思っていたのだ。
なのに…。
そこには、個性のかけらもなく、
みんな違う学生生活を送ってきたんだろうに、
書かれていることといえば、ほとんど大差がなかったのだ。
***
それはある意味、今の僕の働く大学の現状を如実に
表しているのかもしれない。
個性のない学生。KYになることを怖れて、
なるべく人からはみ出ないように、みんなと同じことをしようとしている。
あるいは、単なる想像力の欠如ゆえか…。
そして、それに付け加えて、文章表現力もない。
こんな結論を導き出すのは、たやすいかもしれない。
だけど、どうしてもそれを認めたくない自分もいた。
ただ、学生の声を引き出す僕の能力が低いだけなんだ、
そう思いたい自分がいた。
それは、僕が、ここの学生を信じているからでもある。
本当は、何か熱いメッセージを隠しているんでしょう?
でも、それを表現できないでいるんでしょ?
と…。
だとすれば、それを引き出すのが、僕の仕事ではないのか??
***
編集長ではないけれども、これまで大学のニュースの編集では、
僕はいつも学生担当で、学生に何か書かせることをしてきた。
その経験を通じて前々から思っていた。
学生の声を引き出すのは、なんて難しいんだろう、と。
否。おそらく、学生だけではなくて、
人の思いを引き出すのは難しいことなんだろう。
大手出版社で、何十万部も毎月印刷している雑誌の編集長も、
大手新聞社で、長年取材を重ねてきた名記者も、
みんな人の声を引き出すのには苦労してきたんじゃないか?
うまい文章を書かせる秘訣って何なのだろうか?
思うに、一つは多分、書く本人に、
駄文であろうと、良文であろうと、
文章を見せないことが大切なのではなかろうか?
それは、書くべきイメージが固定化されてしまうから。
そして、これもまたイメージの問題だけど、
どれだけ、書いてほしいテーマをうまくイメージさせられるか。
たぶん、僕はこれができていない。
これから書くべき文章のテーマを、
どれだけ具体的にイメージさせることができるか。
「制約はありません。」
「自由に書いていいですよ」
という言葉は確かに魅力的かもしれないけれども、
読む人がいて、その人たちのテーマに対する要求があるならば、
それを具体化させて、書き手にイメージを植えつける必要があるのではないか?
そうでなければ、書き手も確信を持てずに、
恐る恐る文章を書くことになってしまう…。
その要求をさっと具体化させて、
言葉で言い表せられない自分の能力の低さに、
焦りとイライラを感じる。
人に文章を書いてもらうのも、楽じゃない。
〆51st