◆マイ プロフィール ~幼少期から高校時代~ | 工藤亮子 ~イメージコンサルタントの道~ なりたい自分は自分で選べる@銀座

皆さま、こんにちは!イメージコンサルタントの工藤亮子です。


さて、突然ですが、今日から数回に分けて

マイプロフィールを書いていこうと思いますニコニコ


「亮子さんはなぜ、イメージコンサルタントになろうと思ったのですか?」

と聞かれることも多くなり

「苦労せずに順風満帆にきた人かと思ってました~」

「いつからそんなに強くなったのですか?」


いえいえ・・・


沢山の「自分探し」をして、キャリアに迷い

ようやく毎日が楽しい☆ と思える今があります。

自分の「今」をつくった「今まで」を書いていけたら。


それがブログを読んで下さっている方々の参考になったり

元気の素になることができたらいいな~。

と思っています。


長くなりそうなので

ご興味のある方は、読んでいただけると嬉しいです。



宝石紫幼少期

長崎県の雲仙のふもとで生まれ
海に囲まれた素朴な町で、18歳まで育ちました。


小さい頃から、長女として厳しくも可愛がられていたと思います。

妹が大好き☆
~イメージコンサルタントの道 with all my heart~

妹に怒られるかしら^^


母が洋裁、和裁、編物が得意で、いつもお手製のお洋服でしたワンピース

祖父母は父方、母方ともに自営業。

父方は、衣料品店

母方は、スポーツ用品店

親戚が集まるお盆やお正月、

お洋服に囲まれた店内を走り回るのが何より楽しみでした!


宝石紫小学校時代。

ほぼ毎年、学級委員長。

小学校3年生から、めがねメガネをかけた優等生タイプ。

スポーツも得意で、リレー、マラソン、水泳と何でもこなしていました。


宝石紫中学校時代。

生徒会活動とバドミントンの部活に明け暮れた日々。

真面目な生徒でありながら、ワルの友人も多い不思議な子だったと思います。

父が高校教師をしており、厳しい家庭だったため

成績優秀であることを常に求められていました。

そのプレッシャーに負けたのか、高校の特別クラスへの入試を失敗汗


宝石紫高校時代

それでも進学校普通クラスで楽しく過ごし

高校一年生でコンタクトにきらきら

世界が変わりました。

父と同じ高校に通っていたため、職員室には父がいる。という

不思議な境遇だったかもしれません。


幼稚園から続けていたピアノ。

甘い考えで音大を目指すも

ピアノの先生からの「遅すぎる。」のひと言で諦めましたしょぼん

部活でもキャプテンになろうかとしていた矢先、

父が長崎の対馬へ転勤に・・・

長崎の公立の教師は、離島への転勤は避けられない道です。


高校二年生で転校生・・・

大丈夫かな・・・


という心配するも束の間

すぐにみんなと仲良しに♪

ただ、ずっと続けていたバドミントン部が高校になく

仕方なく自衛隊の方の練習にまざっていました。


長崎の離島生活。

台風が近づけば、飛行機もフェリーも欠航波

新聞は遅れる。スーパーの品揃えは少なくなるショック!

大学のセンター試験は、受験者全員でフェリーで5時間かけて福岡へ~。

数日前に乗り込んで(欠航を避けるため)

ホテルの大広間で缶詰合宿状態。


不便なこともあったけど、温かい人たちに囲まれてたな~と思います。


大学に入るまでは、

「教師になりたい」

というよりも

「教師になるのが当たり前」

という環境で育ちました。




・・・つづく。



本日はここまでにしますね。

長い記事を読んで下さってありがとうございますキラキラ



ペタしてね