先月末のことだった。
突然の、ことだった。
近所に、すっごく近所に、間3件くらいしか挟まない近所に住む同級生夫婦。
妻の自殺。
友人で。
もういい歳になって、そうそう連絡とったり会ったりなんてこともなくなってたけど、用があればいつだってお互いに駆け付けたし。
チマチマlineなんかするよりよっぽど、すぐに電話して、すぐに会いに行ったり来たりするくらい。
妻も夫も、私の友人で。
もう、そんなの高校からのずっとの付き合いだったのに。
人って、あっけなく消えちゃうんだ。
そんなこと、知ってる。
父の時もそうだった。祖母の時もそうだった。祖父も。大好きだった叔父さんも。仲良しだった叔母さんも。
もう、そんなの知ってる歳で。
私たちは同級生とか友人とかいっても、もう40代で。
そういうの、ちゃんといくつか、最低でも一個くらい、知ってる歳なんだ。
失うことの痛みとか、そこから始まるものとか、終わっても終わらない日常があることとか。
もう、そんなの、知ってる歳で、大人っていうんだ。
分かってるよ。
葬儀には行けなかった。
人伝に聞いた事実にその日そのまま駆け付けた自宅には、巣立った子供たちが集っていて。あったこともない親戚らしき人達とかもいて。
ぁあ、そういうことかと実感はした。
それで大人になった子供たちと話してても、なんだかしんどくて、涙が溢れて力が抜けてくから、「出直すよ」って言って。
通夜とか葬儀とか日時を教えてくれたんだけど、そんなのお手差し見ればわかるんだけど、妙に覚えたりもできたんだけど。
どうしても、行けなくて。
知ってるんだ。
悔いの残る別れ方をした友人の死は初めてじゃなかったから。
怖かったんだよね、私。
いつまでも斎条の出入り口に蹲って泣いた真夏の時間を知ってるから。
ぁあ、またかって。
怖くて。
」いけなかったんだ。
葬儀も終わって3日も経ってから私、やっと遺影に会う勇気が湧いて。
赴いたんだ。
けど。
結局、愛息子と彼女の遺影の前では悲しみと悔しさと、ただシンプルな衝撃がリアルで。
涙も汗も止まらなかった。
生ぬるい扇風機の弱弱しい風と、長梅雨の後の執拗なセミの鳴き声が煽るように響いて。
涙も汗も、止まらなかった。
それから10日ほどだよね。
夕飯時に旦那のほうがやってきた。
うん。
「やっと来れた」って。
うん。
ぁあ、そう。
やっと彼女のこと、調べて推測される事実に裏付けられた経緯が、聴けたんだ。
私は、彼女を責めない。