ヨシキさんには、俺が”X Japan”だ、という自負が有るのでしょう。

でも、それだとバンドとは言えないのではないかしら?

いつから、そんな風になってしまったのか…

最初から、そういう形態ではなかったのでしょうし。

 

最初の頃、Xでライブ会場を回っていた時、メンバーが

どんどん変わったと聞きました。かつてXのメンバー

だった人は50人を下らないんじゃないかと、たしか、

「Toshlのオールナイトニッポンプレミアム」でおっしゃって

いたように思います。その理由を、トシさんは、

「難しい人がいるからね」と冗談めかして言ってましたけど、

どこかで、練習のハードさと時間の長さに嫌気がさして

どんどん人がいなくなってしまったという記事を読んだ

記憶が有ります。勿論、理由はそればかりではなくて色々

有ったとは思いますが、ヨシキさん、やり始めたら、

納得するまで身を粉にするタイプのようだから、そういう

練習に最後まで付き合ってくれたのは、真面目で地味に

頑張るトシさんだけだったのでしょうね。何度もメンバーが

いなくなって、それで最後に残るのはトシさん、ヨシキさんの

二人。

 

それでも、例えライブの度にメンバーが変わろうと、

二人がいたら”X”になった。ライブの”X”は、楽曲、歌、

演奏だけじゃなくて、MC含めたホールパッケージの事。

二人の力が合わさったものが”X”の基本だった。

 

その頃は、ヨシキさん、トシさんの両方に俺たちが“X”だ

という自負が有ったと思います。

 

そして、ヒデさん、タイジさん、パタさんが相次いで加入。

皆さん努力を惜しまない実力派のミュージッシャン、だけじゃ

なくって、なんだかそこはかとないオーラが有りますよね。

 

素晴らしいのは、これら新規加入のメンバー全員、ヨシキさん、

トシさんと同様に、俺が”X”だという自負と責任感を持っていた

ということ。だから、ライブの時の頑張りは勿論の事、チケット

売りとか、ライブに来た客全員に配った”X”のデモテープ

の代金の金銭的負担とか(パタさんはアルバイト先に前払い

してもらって払ったとか、タイジさんはうちに有った売れそうな

ものを売り払ったとか、トシさんもアルバイト代をすっかり

つぎ込んだと。ヨシキさんとヒデさんについては読んで

いないのですが、二人共同じようなものでしょう。)、

全員一丸となって、アイデア出し合い、協力し合って

突き進んでいった。多分、この頃のメンバー全員、金銭面は

苦しかったかもしれないけれど、充実していて楽しかった

でしょうねぇ。羨ましい位の青春。みんなが”Ⅹ” を自分の事と

思っていたから、いくらでも頑張れた。

 

これが徐々に崩れていったのが、いつなのかなぁ?

タイジさんが辞めた頃からなのかな?

何故、辞める事になったのか、その理由をヨシキさんは

タイジさんが約束を破ったからだと。どんな約束だったのか

はおっしゃっていません… よね? どういう事だったのか、

タイジさんの書かれた本、「Xの生と死」を音読して

くださっている動画に、タイジさんご本人がその理由を

推測している部分がありました。

 

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Xの生と死 Taiji著 音読 Step3 後編 

https://www.youtube.com/watch?v=zK3DFXzb2Xc

 

(一部抜粋)

 

やめるきっかけになった直接の原因は金なのだと思う。

常日頃から、印税は平等に5等分すべきだと主張してきた

俺の存在が鬱陶しくなっていたのかもしれない。ある日、

ヨシキから辞めてくれと首を宣告されたのだ。

 

今思えば、それまでの様々な俺の言動やこれからのⅩに

とって俺の存在などについては既にヨシキとヒデの間では

話し合われていたのだ、と思う。その結論を下すきっかけ

として、印税に対する考え方の違いを利用しただけなの

かもしれない。しかも、本当はヨシキたちが決定したのでは

なく、別の何か、とても強い力が陰でひそかに動いていた

ようにも思う。いや、そう思いたい。

 

確かに俺はトラブルメーカーだった。でも決して不必要な

人間ではなかったと思う。Xの曲の殆どは俺がアレンジして

きたし、自分で言うのもなんだが、ベーシストとしての才能は

かなりあったと思う。でも、それがトラブルをまき起こす原因

にもなっていた。俺は要するに妥協できなかったのだ。

 

例えば、ヨシキに関していえば、首のけがを押してまで

頑張っているのを承知の上で敢えて俺は彼の不出来な

部分を指摘した。俺にとってのXは完璧でなくては

ならなかったのだ。誰かが指摘しなければ、より上へは

上がっていけないと思った。そして、それが、俺の役目

だった。

 

俺とヨシキは頻繁に衝突したし、他のメンバーに対しても

容赦はなかった。だから俺はメンバーからは嫌がられ、

スタッフからは人間爆弾として怖がられていた。それでも

俺自身は周りからどう思われようと平気だった。その

すべてがXを愛するが故の行動だったからだ。

 

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う~ん、タイジさんも若かったんですねぇ。その若さが

エネルギーを産み出して、聴く人達に力を与えたんだろう

けれど、自分の技量に対する自信と若さゆえの一本気で、

自分が正しいと思う事には妥協が無いというか、相手の

身になって接するという心の余裕がなかなか持てなかった

のかもしれません。(こういう所はヨシキさんがトシさんに

対した時と似ているかも。)でも、この本を書かれた時は、

すっかり落ち着かれて全体を俯瞰して見られるように

なったという事なんでしょうね。

 

ところで、エクスタシーレコードのWikipediaの説明の一部に、

こんな箇所が有りました。

 

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「エクスタシーのスタッフに対する条件として、

『今いるスタッフの中に溶け込める人。全員の和が大切である。

和を乱す奴は必要ない』」

=======

 

矢張り、タイジさんが辞めなきゃいけない事になったのは、

それが原因だったのかもしれません。

 

と書いていますが、実は私、そういう妥協を許さないという

姿勢は有ったかもしれないけれど、そうして、それで衝突は

有ったんでしょうが(特にヨシキさんと)(多分、スタッフとも)、

人には色々な側面が有る訳で、その一つ事を捉えて、

タイジさんがメンバーに嫌われていたとは思えないのですね。

みんなで苦労を共にした仲間、同じ釜の飯を食った仲間

という感覚だったのではないかしら。タイジさんが辞める事に

なった時、みんな辛かったと思います。

 

特に、トシさんはタイジさんと仲が良くてトシさんが声が

出なくなるかもと不安を抱えていた時に、一緒に

「Voiceless Screaming」を創ったりしているし、タイジさんが

脱退した事はショックだったでしょうねぇ。

 

多分、この頃には、Xは大きなビジネスになってしまっていて、

メンバーの好き嫌いで物事が決まるというような状態では

なくなっていたのでしょう。家内工業的にみんなでちまちまと、

ああやろう、こうやろうと相談しながら動いていた時は去り、

メンバーは、自身の好みよりも全体のバランスを優先させ

なければならないというような責任を感じていたのでは

ないかしら?

 

タイジさんとの話し合いが行われた後、ヨシキさんは

メンバーに「『反対の意見が有るやつは言ってくれ』と

言ったが、誰も何も言わなかった」と、おっしゃっている記事

だったか動画を見た記憶があります。

 

みんなどう思っていたんだろう。辛かっただろうけど、本当の

事情を分かっていて、仕方がないと思っていたのか…

 

これ以降、X(そしてX Japan)は、リーダーの決めた事に

メンバーが従うという形になっていったのかもしれません。

そして、Xのプロモーションはリーダーのヨシキさんに任せて、

メンバーは活動の場をソロにも広げていった…

(こういう事って、技巧的には上達して、奏でる曲は洗練されて

いったかもしれないけれど、バンド全体が猛進する、そういう

エネルギーを削いでしまったかもしれないですね。)

 

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X JAPANの壮絶な過去と再生の物語

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/02/x-japan_3.php

(一部抜粋)

 

YOSHIKI: みんなバンドの打ち合わせのときにも話さない! 

     僕が90%ぐらいしゃべって、ToshIも少し口を開いて。

     だから映画で見られるのは本当にありのままの僕ら。

     演技なしの自然な姿だ。