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あれから1年…
日常に追われる日々
遊んだり、笑ったり、バカ言ったり…
変わらない日々を過ごしている。

そんな中、人知れず
1人で母に会いに行く
まだまだ涙は枯れない



今になってようやく書ける
私の後悔…3つ




1つめ…

救急搬送される前日…
職場の暑気払いだった

7月、8月と父からの電話とLINEが
異常なほど増え
時には逆ギレされることもあった
その日も…電話越しに怒鳴られた

帰ってから行けたのに
父に対しての腹ただしさから
後回しにしてしまった

結局、夜中にも電話がかかってきて
一睡も出来ず
早朝、実家へ駆けつける

母の意識は朦朧としていて
事の重大さを知る…

私の問いかけに僅かながら反応…
私が父のところは行っている間に
母…「母ちゃんは?」
ムスメ…「来てるよ」

これが最後の会話だったと思う。

ごめんね、1人で辛かったよね
心細かったよね、苦しかったよね…
私を呼びたかったのかな…
ごめんね…ごめんね…



2つめ

余命半年のガン宣告から
私が側にいると決めた…
母の前向きな気持ちもあってか
回復し1年が過ぎ、母も仕事復帰できた

そのタイミングで私にも
常勤のお仕事の話。
母の闘病も長期戦になると思い
その話を受けた
そのことを伝えた時の
寂しげな母の表情…
「そっか…働かないとだもんね…」と。

病院の付き添いは毎回したが
母のところへ行く回数は減った…
色んなところへ一緒に行きたかったよね…
話を聞いて欲しかったよね…
ごめんね…ごめんね…



3つめ

ガン宣告されてから
今後の治療方針について
耳の遠い母…
主治医の話は殆ど聞こえていない

私が聞いて母に説明する…
余命や手の施しようがないことは
オブラートに包みごまかす…
今思えば、母の気持ちを思って
ごまかしたのではなく
伝えるのが怖かったんだと思う…
私が母の病気に真正面から
向き合えなかったんだと思う…

病気に向き合う母を
目の当たりにするのが怖かったのかも

もっと母の率直な気持ちを
きちんと聞いてあげればよかった

ごめんね…ごめんね…









母の日、ありがとう……
ごめんね…