さっきのブログ書いてから、いろいろ気持ちがあふれてきている。
わたしは9月から12月まで4ヶ月の、Meg.さんの月イチ声サロンに参加中。
参加中、なんだけど。
実際聴き専だし、参加者さんが自由にアウトプット出来るノートも、余りにたくさんで全然読めてなくて
11月の声サロンにおいては、リアルタイムでも聴かず。
その日だけ解放される実況LINEも、物凄い未読数だったけど読まず。
結局音声録音を聴いたのだけど。
もう、流れ弾無縁と思ってたけど、とんでもなかったねー。
詳しくは書けないけれど、先程のブログとともにいろいろ込み上げてきた想いを自分もノートにアップして
「母を嫌ってもいいよ」に対して、めぐさんから
「娘を嫌ってもいいよね」
「自分が嫌われるって、どんな気持ちだろうね」
と投げかけられてね。
そう、めぐさんていつも、「気持ち」を聞いてくれる。
その時の自分の気持ち、無かったことにしなくていいんだよ
それがどんな酷い感情でも、感じてあげて、そうかそうかと自分に言ってあげていいんだよ、を確認させてくれます。
わたしは
ほんと、そうだ。
娘を嫌ってもいいよね、と涙が出て
何人かもコメントしてくれて、そこでのやり取りもして
怖いのは、嫌われることじゃなくて
自分が娘を嫌うことへの怖さ
それに気づいてしまった。
勿論、人から家族から嫌われたくはないけど
それよりも自分が、事もあろうに自分の娘を嫌うだなんて
なんて非情なこと、可哀想なこと、酷いこと、親なのにしてはいけないこと
自分の中の超タブーとしていた、に気づいた。
気づいて、
自分が娘に嫌われること、いろいろ言われて、むーんとしたし、うるせー、と思ったし
でもね、本音は、ホッとした。
ああわたし、娘に嫌われるところ、あるんだ。
ホッとして涙が出たんだ。
そうしたらね
わたしが娘のこんなとこヤダ、全然理解出来ない、めんどくせー!と感じたことも
いいんだ、と思えたんだよね。
娘を嫌ってもいい。
娘を嫌うなんて、あり得なかった。
いや、お腹の中ではイライラむかむかむーんして、うんざりしてても、それを見なかった。
あるのに、わたしが見ないふりしていたんだ。
自分が嫌われてもいい、を肝からそう思えたから
やっとやっと
わたしも娘を嫌ってもいい、が入ってきた。
おかえり。
ずっとずっと前からあったよね?
見ないふりしてごめんね。
わたしが母として、娘から嫌われても
わたしが母として、娘を嫌っても
そして自分におかえりと受け入れても
わたしは娘にとって母だし
娘にとってわたしは母。
お互いの感情が、やっと素直に伝え合えるスタートラインに立ったのかもしれない。
昨夜声サロン音声録音聴いて
自分は自分の母に対しての感情が薄いので、こうして欲しかった、や、こうされて嫌だった、も無い代わりに、楽しい嬉しい思い出も特に無くて
色々な拗ねって、親との関わりのボタンのかけ違いからきていることが多いのだろうし
でもわたしは母やもう他界している父には、何かそういう感覚わからないなあ、
で、もうそれは、別に辛いとかないから、わたしはもういいや、と、他人事みたいに聴いていたし
でも
大人になってもいくつになっても、気づいたら反抗期やり直して、親が嫌がってもそれをやり尽くしてきためぐさんや、これから怖いけど、それをやろうとハカハカしている声サロンメンバーさんを感じて
それ程までの想いを持てる親子の関係が、羨ましくもあり、
親も傷つくし、悲しむけど
言っていいよ
伝えていいよ
子供は母を嫌ってもいい
母も子供を嫌ってもいい
距離を取っても、取られてもいい。
絶縁しても、されてもいい。
そこの底に流れている、絶対的な揺るぎない愛情もを
わたしたちはちゃんと知っているのだから。
大切なペットちゃんとお話しします。


