3月頭にインフルエンザで寝込んでいた日々に、何度も何度も何度も!繰り返し聴いたコレ。
いよいよ最終回の音声が!!!
感動とかとはなんか違う。
魂が揺さぶられて震える感覚。
これ、わたし繰り返し聴こうと思う。なので自分用にリブログ。
午後からは母のホームへ。
数年前から母は、認知症のグループホームに入居しています。
先週行けなかったので、遅れてしまったけど母の日のブリザードフラワーを持って行った。
「最近気持ちの落ち込みが激しい」
頻繁に訪問してくれている姉から母のことを聞いていたので、ちょっと憂鬱だなあ、と思ったけれど、行く前にこの音声を聞いて
あ!母もやってるわ、劇場!
と気づいたら、なんだかわたしの気持ちがフワッとラクになって
よし今日は、そのていでコミュニケーションしてみよう!って思えた。
着くとリビングに入居者の皆さんとリビングでテレビを観ていた。
まだ家族の顔と名前は理解している。
自室に戻り、ブリザードフラワーを渡すと、弱々しい発言をし始めた。
「おもしろいこと何もない」
「家に帰りたい」
「生きてても仕方ないから、早くお迎えが来ないかしら」
眉間にシワを寄せて、絶望感たっぷりに。
あー、伝わるなあ、と。
ちゃんと表情もこんな風に辛い!って顔して言わないと伝わらないよなあ、と、妙に感心している自分。
Meg.さんの、チャイニーズYouの話を思い出す。
辛い時は辛い顔して言っていいよね。
辛いのに、ついわたしたちはヘラヘラ笑いながら話したりしがち。
そういう習慣でずっときてるから、きっと少しくらいオーバーにしたって大したことないだろうし。
かと思うと、急に真逆なことは言い出す。
「早くお迎えに来るようにパパ(わたしの父、母の夫、既に他界してます)に拝んでちょうだい」
と言うので
「はいはい、よーく拝むね」
と言うと
「わたしはまだ死にたくないわよー」
とか平気で言う。
腹が立った時期もあるし、何とか言い聞かせようとなだめすかしたりした時期もあるけど
それはただただわたしが反応してただけ。
母の中には、本当にこういった2つの相反する気持ちがあるのだろう。
実際にあるんだよね。
それが瞬時に反転して出てくるのかもしれないし
何より、それらは多分、瞬間瞬間の素直な感情、感性なのだろうし
その母が居る世界にわたしは住んだことがないからわからない訳だし
人によっても違うし
でも、その目の前にいる母は母だし。
そして、やっぱり桜田淳子劇場やってるし。
そう思うと笑えてきた。
バカにしているのではなく、あーやってるなー、微笑ましいなあ、おんなじだなあ、って。
時間を越えた母だけの世界の中の、母だけのその感覚を
ただただわかってほしいんだよね、と。
それでもおもしろいこと言って爆笑するひと時もちゃんとある。
そんな気持ちで母と関われた今日でした。
全国津々浦々で、今日も繰り広げられているであろう、淳子劇場。
わたしもまだまだやる、でもこのキーワードで気づけるんだよね。
気づけたら笑える。
笑えたら終わる。
まりりんさんの中の、悲劇のヒロインも過激なヒロインも
わたしの中にもある愛しいかけらたち。
で。
長女からは
「わたしはまだそんな風に思えないから、笑いにしないで」
と言われているので、了解しています。
Meg.さんの声サロンやLINEコースからは、たくさんのキーワードが生まれている。
それが浮かぶと瞬時に、そうだったそうだった!と気づける名言満載。
やったら気づく、やったら気づく、の繰り返しかもしれないけど、
気づけることがすごいこと。
たくさんの自分を生きるヒントをありがとう。
