連休だけど、家でゆるゆるしてます。
家族もそれぞれに気まま。
でね、この二、三日目の間で、長女が急にぢんさんの本を読みだしたわけ。
あ、勧めてませんよ、自分が読もうと思ってテーブルの上に置いといたけど
おもむろに手に取って、そのまま一気に読み切ったのがコレね。
普段本読まない人なので、ちょっとびっくりしながら眺めてましたけど
「ぢんさんの本は入ってくる」
とのたもうたよ笑
続けてコレも読破。
ある魔法の言葉に悶絶してた。
今日になって5月6月分のカード引き落としの金額のことで、あーだこーだ不安満載を話し始めた。
とりあえず聞きました。
あー。
「ない」にフォーカスそとるな。
ちゃんと「ある」のにねぇ。
更に聞いてると、実に馴染み深い意識だよなぁ、と。
あれ?
今目の前で、お金が「ある」のに「ないない」言って不安になっているのは
かつてのわたしだ!
しかも数ヶ月前のわたしよ!
うわぁ、そうだったそうだった!
こうやって「ない」にばかり意識を向けて合わせていたから、本当に現実も「ない」を具現化していた自分。
それが今の長女で、ハッキリとわかったし
わかったということは、わたしはもうソコの世界から抜けたんだなと思った。
「ある」のに「ないない」という世界からの脱却、オーバーだけど
「ない」という沼は底なし沼のように、引きずりこまれると抜けるのは大変。
あるんだよ!といくらロープを投げても、いやありませんからー!と、そのロープを掴もうとしないの。沼に沈んでいってるのに。
抜けたのは信じてみたからかな。
「ある」を信じて使う。自分の欲しいもの、やりたいこと、行きたいところ、に。
使うと減ります、当然だけど。
通帳の残高も減る、手元の現金も減る。
減るのよ、使うから。
でも、使ったら入るよね?
有形無形なあれこれが。
必ず入ってる。
絶対に物々交換になっているんだよ。
そこに気づけたから、使うこと、使うことで減ることが、全く怖くなくなりました。
で、そういう意識でいると、不思議なんだけど
本当に入ってくるのよお金が。
出した分、必ず入ってくる。
だから「先に出す」って、ほんとそうなんだ、も実感してる。
最近は、空間をお札が川の流れみたいにグルグル絶え間無く巡っているのが見える。
常に動いているその流れの一部が、わたしの手元に来てくれる。
わあ、よく来てくれたね、ありがとう。そう感謝して、わたしも何かに使い送り出す。
大事なのは、その流れを止めないことだ。
前は入ってきたら離してなるものか!と抱え込んでいた。
失うのが怖くて手元にしっかり握るんだけど
気づくといつのまにかなくなって
いったい何に使ったのかわからないけど、ただただなくなってしまい
ますます怖くて握りしめて、でもいつのまにかなくなって、
「ない」という意識で使うから、そりゃあなくなります。
「減ること」ばかり見てるから、そりゃあ恐怖です。
そんな意識を「あるんだよ」と、何度も何度もギアチェンジさせて、今やっと「ある」の世界に来た。
だってさ、わたし今まで生きてきて、お金に困ったこと実際にないもの。
ゼロになったこと、ないもの。
ってことは、「ある」ってことです。
わたしの友達や知り合いには手元の残金が少なくても、やりたいことを実現させている人たちがいる。
人は世界は、自分を開いたら優しいしかない、を見せてくれている。
だからやはり「ある」って信じられる。
長女は、残高がある一定額を切ると不安になると言う。
わかるー!かつてわたしもそうだったから。
でも実際、お金は「ある」んだよね。
数字に翻弄されてるだけなんだよね。
使えば減るけど「ある」んだよ。
その「ある」にフォーカスすることなんだよ。
お金=空気=愛=エネルギー
だから、どんどん回していくことで、その豊かな流れはわたしにも来る。
「いっぺんその一定額を越すくらい使ってみると、怖くなくなるよ」
と長女に言ったら、悶絶してましたけどね。
大丈夫、あるよ。
なくても「ある」
ちゃんと「ある」から
その「怖さ」をやってみよう。
わたしもやってきた。
だからわかったのよ、怖くなんかない、ということが。






