よくこんな質問をされます。

 

 

「こういうときはどうしたらいいのでしょうか?」

 

 

 

その質問者の「こういうとき」っていうのは

その人なりの解釈で切り取られた「とき」

を指しているのであって、その切り取られた以外の

ところ、つまり背景だとか状況だとかがわからない

ので、答えようがないことがほとんどです。

 

 

「お湯が沸騰してるんですけど、どうしたらいいでしょう?」

(※テーマをわかりやすくするための例です)

 

ってただ、聞かれたらどう答えますか?

家でお茶を飲むだけだったら「すぐ火を止める」と言えますが

繁盛しているラーメン屋だったら、「火を止める」と困ります。

 

 

状況・背景や求めるものによって

答えはいく通りにもなるのですが、

ほとんどの人が一つの答えを求めます。

 

 

だけど、ひとりひとり正解が違うもので

求められるようなはっきりした答えはありません。

みんな違うんです。

 

 

見ているものは同じでも

それぞれの世界観で見て、切り取られた言葉を使い

また相手も違う世界観で受け止める言葉の解釈も違うんです。

 

 

何が言いたいのかというと、

 

 

そのことを知っていれば、

「なんでそんなこともわかんないの?」とやらずに、

自分と考え方や行動が違う人にも

少し優しくなれるのではないかなと思うのです。

 

 

周りからの同調圧力に馴染めない疎外感を感じても

自信を失わずに済むのではないかなとも思います。

 

 

そして、ちょっと変わってると言われる

自分のことも認められるのではないかなと思うのです。

 

 

みんながそのことを知っていれば

許しあいの気持ちが持てて

優しい社会ができるのではないかと思います。

 

 

読んでいただきありがとうございますおねがい

 

どんな仕事でも、俯瞰して見ると、

一連の流れ(ワークフロー)のなかにあります。

 

 

 

自分の担当している仕事が

気持ち良くできるかどうかは

「前工程」の努力を無駄ならないよう

 「後工程」によい形でバトンを渡す

ことができているかどうかの結果です。

 

 

 

担当する仕事の「前工程」や「後工程」が

中途半端だったり手抜きだったりすると

どうなるのかは想像に難くありません。

 

 

 

 

例えば、締め切りに間に合わないとか、

ミスが放置されたままで修正のない仕事は、

後工程の仕事に響き、迷惑をかけることになります。

 

 

 

それがドミノ倒しのように悪い影響を与えて、

最終顧客の迷惑にもなりかねません。

 

 

 

 

こうなると、さらに余計な手間がかかる上、

「なんでこれができてないんだよ…」

と悪感情に支配されることになり、

大きなストレスに襲われてしまいます。

 

 

 

 

だから、単発の仕事でも一歩下がって俯瞰して見ることや、

「この仕事は誰かの役に立っているか?」

「誰が喜ぶのか?」という想像力は持っておきたいものです。

 

 

 

関わる人皆がそういう思考回路になれば

仕事はこの上なく捗るようになりますよね?

 

 

つまり、他の誰かのためにやる仕事は

自分のためでもあるのです。

 

 

 

お読みいただきありがとうございますおねがい

 

今日は”論語”から

言葉を拾ってみます。

_________________________________

 

學びて思はざれば則ち罔(くら)し。

  思ひて學ばざれば則ち殆(あやう)し

________________________________     

 

 

口語のままだと意味わかりませんが、

現代語訳するとこんな感じです。↓↓

 

 

 

「広い知識を身につけても、

  その学びから自分で考えることが少ないと、

   本当に理解することはできない」

 

そして、

 

 「ひとりで考えるばかりで、

   人から学ばないようだと、

     偏見を持つ危険がある」

 

 

 

 

一つの知識から、自分の思考を巡らして

実際にやってみることが大事だということ。

そして、その知識を誰かにシェアして

良いも悪いも受け入れることで

柔軟な思考が育まれていくということ。

 

 

が、現代風な言い方(?)

 

 

 

言葉だけなぞって「わかった」「わかっている」

は本当の意味での深い理解に至ることはありません。

「親の苦労」というのも、同調することは簡単ですが

やっぱり実際に親になって気付くことの方が多いものです。

 

 

最近、こんな言葉を学びました。

 

 

 

「体験のない知識は幻」

 

 

 

これは頭でっかちになりがちな僕にとっては

「僕はこれ本当に理解してんのか?」と

楔(くさび)を打ってくれる言葉です。

 

 

因みに、学ぶとは元々は「真似ぶ」から来ているそうで、

最初は真似してやってみることで、磨かれていくものです。

 

 

お読みいただきありがとうございましたおねがい

 

 

_____________________

 

P・S

今日から9月ですね。

今月もあなたにとって最高の日々が

過ごせるよう祈っています。

 

 

想定の範囲内の出来事というのは、

「障壁や障害」がないという前提ですが、

逆に見ると、「それ以上にならない」

ということが確定しているとも取れます。

 

 

「誰もみたことのない世界を作る」

「未知の自分の可能性を広げる」

 

 

そんなワクワクするような想像は

予想もしていなかったような出来事から

創造されるものだと思います。

いい意味での想定外です。

 

 

ワクワクすることって大体は

相応のリスクも伴うもので、

逆に言えば、リスクの全くないものは

ワクワクもしないものだと思います。

 

 

映画でもドラマでも想定内の結末より

想定外の結末の方が驚きや感動が大きいのと

同じです。

 

 

人間は危険を避けるようにプログラムされているので

リスクはなるべく避けたいのが人情ですが、

慎重になりすぎてチャンスを逃すのも嫌だと葛藤するわけです。

 

 

だから、「成功」というのは失敗のリスク

という未知の世界に「勇気」をもって飛び込んだ

証とも言えるのではないかと思います。

 

 

 

あなたが勇気を持てるように祈っています。

 

 

お読みいただきありがとうございます。おねがい

 

 

「家が貧乏で、幼くして丁稚奉公に出されたが、

 そのおかげで商人としての躾を身につけ、

 世の辛酸を多少なりとも味わうことができた。」

 

 

「体が弱かったおかげで、

 人に頼ることができた。」

 

 

「学歴がなかったおかげで、

 常に人に教えを請うことができた。」

 

 

「何度かの九死に一生を得た経験のおかげで、

 自分の強運を信じることができた。」

 

 

これは経営の神様 松下幸之助氏の

体験に基づく言葉です。

 

 

だから名実ともに成功や豊かさを

手に入れていたのだろうなと思います。

歴史に名を残すほどの。

 

 

この言葉が全く逆の反応のものだったら…

ここで書くのも嫌なくらいですが、

対比させるために書いてみます。

 

____________________________________

 

「家が貧乏で、幼くして丁稚奉公に

 出されたせいで辛い思い出しかなく

 思い出すのも苦々しい。」

 

 

「体が弱かったせいで、

 何もできなかった。」

 

 

「学歴がなかったせいで、

 いいところに就職できなかった」

 

 

「何度かの九死に一生を経験のせいで、

 何をするにも臆病になってしまった」

___________________________________

 

 

 

こんな言葉をつぶいやいていて

成功や豊かさが手に入ることなどは

微塵も想像できません。

 

 

 

「〜のせいで」と受け止めるか

「〜のおかげで」と受け止めるか

それは自分次第。

 

 

どんな小さなことや受け止めきれないことでも

それはあなたにとって必要・必然・ベストなことなのです。

そう思えたら、感謝というものが込み上げてきます。

 

 

お読みいただきありがとうございますおねがい

 

 

齢50を超えてようやく

ブレなくなってくる。

周りの易きに流されない。

 

 

日々、禅問答のような

自問自答を繰り返し、

紙に思いを走り書く

 

 

「無知の知」を自覚して、

勉強をし続けることが楽しい♪

「昔はこうだった」なんて成功体験も

邪魔になる時の方が多くなってくる

先の見えないVUCAな時代

 

 

自らの考え方ややり方も軽く

チューニングしながら前進することで

違う景色が見えてきて、

新しい発見があるものです。

 

 

「自分は何の目的でこれやってんだ?」

にすんなり答えられて、他人の共感を

得るためには「誰かの役に立っている」

という土台の上に立っていることが必要。

 

 

「初志」は何だった?

紙に書き出しておくことをおすすめします。

 

 

そして、それをただ繰り返す。

成功しても驕らず

失敗しても諦めず、

そこに感情を入れずに

ただただ繰り返す。

 

 

これがやっぱり最強だろうなと思います。

 

 

私は以前、才能とは一瞬の

ひらめきだと思っていました。

 

けれども今は、十年とか

二十年とか三十年とか、

 

同じ姿勢で同じ情熱を傾けられることが

才能なんだと思っています。

 

 

        by 羽生 善治(プロ棋士)

 

 

この言葉に間違っていないんだ

という確信をいただきました。

 

 

お読みいただきありがとうございますおねがい

これは誰でも

とっても元気が出る言葉。

是非、紹介させてください。

 

 

言われたのは

日本電産会長の永守 重信氏

 

 

当社で優れた開発をしている社員は、

必ずしも一流大出身とは限りません。

 

一流大出身でなくとも

優秀な社員はたくさんいます。

 

だから私は、

 

「玉露のカスより番茶の上等」

 

だと言うんです。

 

 

一流大学のカスより

活躍する、上等な

番茶を目指そうと。

 

  

こんなトップの元で働ける社員は

とっても幸せなのではないでしょうか?

お茶だけに言われることが「シブい」

 

 

世の中には頭の良い

「玉露のカス」はたくさんいます。

これはつまり、ラッピングが

キレイでも中身が空ということ。

 

 

沢山の失敗を経験して、

自分の痛みも人の痛みも分かる

懐の深さと打たれ強さを培う中で、

「番茶の上等」になれます。

 

 

今から、誰にでもなれます。

 

 

心掛け次第で、

どんな環境も条件も

全て自分の糧になっていくのです。

 

 

「玉露」を見て羨ましいとか、嫉妬するとか

は自分を傷つけるだけです。

ほとんどの人が番茶でいいんです。僕も番茶です。笑

 

 

それでも、「上等な番茶」を目指すことの中で

「自信」というのは生まれるものだと思います。

 

 

 

お読みいただきありがとうございますおねがい

良い言葉や教訓を聞いて、

うなづくだけでは、

自分の血肉にはなりません。

 

 

やったことがあって「わかる」というのと、

やってもいないのに「わかる」では、

天と地ほどの差があります。

 

 

ネットで調べたり、本を読んだりしても

そこに書かれていることを実践しなければ

その言葉を真に理解したとは言えません。

 

 

初めて自転車に乗る人が

「自転車を乗りこなす10の秘訣!」

なんていう本を1000回読んでも

自転車に乗れるようにはならないのと同じです。

 

 

つまり、やってもいないのに「わかる」

というのは、「わかったつもり」か

「わかったふり」にすぎないということ。

 

 

言葉にはチカラがありますが、

その言葉のチカラに触発されて、

自分で実際に実行してみるというのが

言葉を正しく理解する方法です。

 

 

言葉だけを"脳に落書き"して

わかったつもりになるのは、

自分のすぐれた点などを述べたてる
 

 

「能書き」

 

 

とも言えます。

 

 

経験は数千年前から

なされてきたが、

その跡をたどっても無駄である。

 

他人が自己のために

経験したことは、

そのまま諸君には通用しない。

 

諸君は己自身のために

経験しなおさねばならない。

 

byリュッケルト

(ドイツの詩人/東洋学者)

 

 

実践実証して

言葉を自分の血肉にすることで

どんどん強くなっていきます。

 

 

あなたを応援しています!

勇気を持って行動しましょう。

 

 

 

お読みいただきありがとうございますおねがい

 

悲哀と絶望の中にあっても

希望を見出す力を「楽観」と呼びます。

 

 

"観"は心の眼で見ること。

心の眼で見ると、絶望の中に続く

未来を明るく見ることもできます。

だから、「楽観」

 

 

いつでも

「大丈夫、大丈夫」と唱える。

 

 

根拠なんていりません。

 

 

「大丈夫、大丈夫!」

 

 

それでも不安や心配?

「大丈夫、大丈夫!」

 

 

 

きっとなんとかなるものです。

心配事の9割は起こりません。笑

 

 

 

良いときもあれば

 悪いときもある。

 

わたしが今日言いたのは、

 

「それで大丈夫だ」

   

    ということだ。

 

 

by ロバート・デ・ニーロ (俳優)

 

 

お読みいただきありがとうございますおねがい

 

 

今置かれている状況の

過程が苦しければ苦しいだけ

それを克服した時の喜びは大きいものです。

 

 

 

「なるほど!」と誰しも分かってはいることですが、

苦しい時なんて歓迎したくないし、

やっぱりその場から逃げてしまいたくもなります。

 

 

なぜなら、僕たちは本能的に「痛み」は

避けるようにできているのだから、

そこを踏ん張る!というのはかなりの

忍耐が必要になるからです。


 

 

でも、冷静に考えてみると、

『苦しみ』というものは、似たような状況であっても

一人一人その反応の仕方が違います。

 

 

自分にとってその苦しみが「100」だとしても

別の誰かにとっては「10」くらいしかないこともあります。

 

逆に

自分にとってその苦しみが「10」くらいで平気な顔してても

別の誰かにとっては「100」ほどの”苦”かもしれません。

 

 

この受け止め方の違いは、

これまで「苦悩」を乗り越えてきた

勇気と忍耐を発揮した度合いの違い。

 

 

筋肉と同じで、負荷をかけると強くなります。

逆に、筋肉は負荷がないとどんどん痩せ細ります。

 

 

「苦しい」ことは人生で亡くなることはありません。

しかし、その受け止め方を変えて、明るく生きていくことはできます。

 

 

「苦悩」を乗り越えることで

自分が強くなるための必要な課題です。

 

 

その課題をクリアすると

なりたい自分に一歩近づけます。

 

 

何にでも感謝です。

 

 

 

お読みいただきありがとうございますおねがい