つづきで、きっかけその②ですが

それは何と言っても東日本大地震ですね。

3.11、揺れ過ぎて始め地震だとは分からない程
地球が壊れるのかと思う程の揺れの中にいました。

私はその当時、仙台の駅前で訪問販売の会社を
経営していて、30人程のスタッフと仕事をしてました。

全員が外回りの営業なので、その時も全員が
各地で営業をしていました。

もちろん海岸沿いの担当の人も沢山いたし
むしろ私は地震の15分前まで松島にいて
スタッフの営業のトレーニングをしていました。

一人のスタッフを松島に残して
16時から面接が入っていたので先に帰りました。

そして14:46、あの大きな揺れが来ました。

目の前の景色は一変して
下校途中の大きなランドセルを背負った子供たちの
キャーーーという叫び声
古い二階建ての家が一回建になり
ジャスコの店員さんが頭から血を流しながら
カートで運ばれていく…

何が起きたのか分かりませんでした。

車のダッシュボードにあった
携帯を置く為のゴムの滑らないやつから
簡単に落ちた携帯を見て
初めてそこで地震だということを知りました。

揺れ過ぎて地震と認識出来なかったんです。

そんな中、私もスタッフたちも誰一人
怪我一つせずに帰って来てくれました。

しかも海岸沿いの担当の子たち10人程が
その週たまたま青森に地方遠征に行ってたんです。

普段は2〜3週間ぐらい前から準備して遠征行くのに
その時に限って、前の週になんとなく私が
“来週さぁ、行って来たら?”って言ったんですよ。

だからあれがなければ…って考えただけでも…

私自身、海岸沿いから帰ろうとしてたのに
たまたま前にいた軽トラックのおじいちゃんが
30kmも出てないスピードで走っていて
これは面接に間に合わなくなるかも!と思い
急遽山の方から仙台に向かったんです。

だから、今私は今もこうして生きてる
かもしれないです。

今思えばあの軽トラックのおじいちゃんは
私が少しよそ見をしていて
顔を前に戻したらいたんですよね。

もしかしたら、うちのおじいちゃんが
こっち行っちゃダメだぞって
私にだけ見せてたのかもなんて、私は思ってます。

そんな奇跡的な事が沢山重なり
私もみんなも生きていました。

私の人生はあの日から
生きる目的が変わりました。

今までは自分がどうしたら幸せになるか
どうしたら沢山稼げるか
自分のスタッフたちをどうしたら成長させられるか

そのぐらいしか頭にはなかったです。

でもあの日をきっかけに
『私には使命がある』

そう思ったし、思わずにはいられませんでした。

そこから
『私には何が出来るんだろう?』
の旅が始まりました。

どんな事で私は人の役に立っていけるんだろう?

私にはどんな使命があるんだろう?

何が求められてるんだろう?

それを追い求めて来ました。

無力な自分に、自信をすっかりなくして
もう全部どーでもいい。と思った時もあったけど

そんな時、救ってくれたのは
家族と彼と仲間でした。

震災からそろそろ8年経つ今
やっと、そこに立てる自分が出来たので

よーし!!!
やるぞーーー!!!
と、なったわけです。

自立支援って言っても、どんな事やるの?
って思いますよね!?

その詳しい内容は、また次のブログで♡