【高岡蒼甫が韓流ブームに苦言】
「戦後最悪なこの時代に、誰が望んでるんだ」
RBB TODAY 7月26日(火)14時29分配信

俳優の高岡蒼甫が、Twitterで国内における韓流ブームを非難し、話題となっている。
高岡は23日、「正直、お世話になったことも多々あるけど8は今マジで見ない。韓国のTV局かと思う事もしばしば。うちら日本人は日本の伝統番組を求めていますけど。取り合えず韓国ネタ出てきたら消してます。ぐっばい」とツイート。この「8」とは、平日の昼に韓流ドラマを放送するなどしているフジテレビを指していると思われる。
その後も「ここはどこの国だよって感じ。気持ち悪い!ごめんね、好きなら。洗脳気持ち悪い!」「TV局の韓国おし無理。 けーPOP、てめーの国でやれ」などとツイート。今後の活動を心配する声に対しては「影響出るなら辞めるよ。そんなんで干されたら所詮そんな世界って事でしょ」と応じ、その後も持論を展開した。
高岡は、韓国自体や韓国のタレントを非難している訳ではないようで、「ただこんな戦後最悪なこの時代に韓国おしって、誰が望んでるんだって話し。もっと伝えるべき事が沢山ある」「まず日本に目をむけないと」「俺は日本がよくなってほしい。惑わされずに良くなってほしい。とにかくそれだけ。だから売国は絶対にNOなんだよ。過激に聞こえるかもしれないけどこれが自分の言い方です」と、日本を愛するが故のツイートだということを説明している。
そのほかにも、ユーザーとのやりとりのなかで、妻である女優・宮崎あおいとは同じ思想なのかと聞かれ「妻は自分と一緒の思想ではありません。火の粉が飛ぶのは勘弁です。と。そう訂正してくれと言われましたのでそのまま書かせて頂きます」とコメント。そして、「一緒の思想にはならなくていいと思うけど彼女の後ろにいる人たちと共存する気はありません。さらっと流れに身を任せたいと思います」と付け加えた。
また、かつて朝鮮日報のインタビューで竹島問題について「日本は卑劣だ」などと答え、ネット上で非難を受けたことがあるが、そのことについては「卑劣だなんだなんて言ってない。あちらさんの書き方」としている。

↑以上が記事の内容。
まさに正論!
当たり前のことを普通に言ってるだけなんですけどね。
しかしこういうことを言うと芸能界から干されるんでしょうね。
山本太郎みたいに。
僕がずっと違和感と書いてきたことですが、それを代表して芸能人が言ってくれるのはありがたいような気持ちがします。
韓国汚染、深刻さを少しでも分かってもらえればと思います。
日本が最悪で深刻で国の滅亡にかかわるときにうんざりする連日の韓国芸能人ってあり得ない。
それを受け入れてる日本人もまた阿呆丸出しでそういう愚か者は日本から出て行ってくれって感じですね。
韓国の異常な作り出されたブームに違和感を覚えない日本人の鈍重さに呆れ果ててただけにちゃんとした良識派の人も芸能界にいるんだなとホッとしました。
この国は左翼思想が強く、自虐史観念の教育、韓国礼賛主義です。
遅れてきた社会主義国家ですから言論統制や変な平等意識があって、それが国の衰退につながってるのを国民のどれくらいが理解できてるのか。
たいていの日本国民は阿呆ですからね。
日本の国旗すら知らないでサッカーだけ応援してる。それもおそらく自発的じゃなくてなんとなくでしょうね。
愚かな国民ですよ。

店を開いて2ヶ月がたちました。

少しですが、慣れてきました。

とはいえ、まだ本格的に慣れるには1年かかるようです。

12年のブランクは長いです。

でも目標達成と社会復帰は果たしました。

休みがなかなかとれないので映画を見に行ったりするのは無理でしょう。

でも美術館は行きます。

東京出張はあるので、そのときがチャンスです。


今後の目標はフランス長期旅行。

これは来年に行く予定です。店は代わりを探してます。

もちろんバイトなど募集しません。

フランス旅行が終われば、もう旅行は無理かなぁって。


ディズニーランド、ディズニーシーと富士急ハイランドにはどうしても行きたかったんですけど、どうやら無理みたいです。

一生のうちで行きたいと思っても行ける場所って実際には少ないんですけど、僕は比較的行きたいところに行けた方です。

行動力があるからだと自負してます。

ただ上記の3箇所はひとりで行ってもつまらないですからね。

ひとりでいけるところはたいてい行きましたが、ふたりで行きたいところは結局どこもいけず・・・。

これってちょっと不幸ですね。

東京出張の最終日、国立新美術館に行ってきました。


アメリカの首都・ワシントンにある美術館「ワシントン・ナショナル・ギャラリー」は西洋美術12万点を所蔵する世界有数の美術館です。
この美術館は実業家アンドリュー・メロン氏が創設し、彼の志に賛同した人々からの寄贈によって成り立った美術館です。
アメリカ国民たちが作った美術館です。


鶏口牛後

今回の展覧会ではワシントン・ナショナル・ギャラリーの所蔵する中でも特に質の高い印象派・ポスト印象派の作品の中から83点を公開。
そのうち、日本初公開の作品は50点に及びます。
特筆すべきは「常設コレクション作品」のうち、9点が含まれているということ。
常設展の貸し出しは12点までという「決まり」があるのですが、1点も貸し出さない展覧会もあるほどですから、9点の傑作が日本に来るのは稀有なことでしょう。


僕の感想としてはいい意味でまとめたという印象です。
印象派前夜ともいうべき、コローやデュプレのバルビゾン派からスタートし、印象派の父・マネ、そして印象派の巨匠たち、モネ、ピサロ、ドガ、ルノワールなど王道から、メアリー・カサットやベルト・モリゾなど印象派の女流画家の作品まであります。
ポスト印象派ではセザンヌ、ゴッホ、スーラの作品を展示。
83点と作品数は少ないですが、まとまってます。
油彩画は56点なんで、数からいうと少ないかなという印象を受けますが、大きな作品が多く、また主要な巨匠たちを網羅してるため、観やすい印象を受けました。
絵画の入門編としては最適だと思います。


ただ、去年のオルセー美術館展同様に人が多く、じっくりゆっくり観られないのが難点ですが、分かりやすい作品の数々には絵画ファンだけじゃなく、デートなどにもいいし、家族連れでも見やすいのではないかと思います。

第1章は「印象派登場まで」と題され、先述したコローやデュプレ、マネらの作品を紹介してます。



鶏口牛後

↑コローの作品です。
「バルビゾン派」と呼ばれる主にフォンテーヌブローの森などの風景画を観たまま、感じたまま描いた画家たちが19世紀に入ると出てきます。
カミーユ・コローやギュスターヴ・クールベ、テオドール・ルソーなどが有名です。
同時期にフランスではドラクロアやファンタン・ラ・トゥール、イギリスではターナー、ブレイク、コンスタブルたちロマン派やアングル、ダヴィッドを代表する新古典主義と呼ばれる画家たちも出てきて、絵画の表現が多様化する下地が出来上がりつつありました。

決定的になったのはエドゥアール・マネの登場です。



鶏口牛後

↑「鉄道」と題された作品ですが、鉄道の姿は見えません。
画面に遠近感はなく、従来の手法と全く違った大胆な構図を取り入れたことで絵画の道が一気に開けました。



鶏口牛後

↑この作品では上と両端が切り取られたような構図になってます。
日本の浮世絵の影響と思われます。
これもそれまででは考えられない構図です。



第2章ではいよいよこの展覧会の核である「印象派」の作品紹介です。
とりわけ感心したのはモネです。
カミーユと息子のジャンを描いた作品がありましたが、モネが人生で一番幸福だったときの作品です。
そのモネの家族を描いたルノワールの作品も秀逸です。



鶏口牛後

↑モネの風景画です。
実に空が広く感じます。
奥行きがあって、手前には林からもれる光が見られます。



鶏口牛後

↑モネの「日傘の女性」の3部作の最初の作品です。
この作品では妻・カミーユの表情も描かれ、息子ジャンの姿もあります。
これが1875年の作品で、カミーユが亡くなったあと、1886年に描かれた同様の作品では女性の表情はなく、子供の姿もありません。




鶏口牛後

↑僕の最も好きな画家のひとりルノワールがパリを描いた風景画です。
女性画や自然の作品を多く残してるルノワールですが、こうした都会を描いているのは初めてみました。
統一感のある色彩で見事にパリの街を描いてます。




鶏口牛後

↑ルノワールが一番得意とした女性の絵です。
背景に溶け込むようなドレスと柔らかな踊り子の表情と質感。
まさにルノワールです。
ルノワールのことはいろいろと書きたいのですが、ここでは今回の展覧会の作品の紹介にします。




鶏口牛後

↑アメリカの女流印象派のメアリー・カサットの作品です。
彼女の登場により、アメリカで印象派が広がっていったのです。

このほかにも印象派の最年長ピサロやシスレーやドガ、そして印象派を金銭面で支援したカイユボットの作品もありました。


第3章は「紙の上の印象派」と題され、版画など技術を用いて紙を媒体とした作品が26点。
これらはエッチングやリトグラフなどで僕はあまり興味がない分野なので軽くスルーするように見ました。
やはり絵画はタブローです。
油彩のマチエールなどに画家の息吹を感じますから。


第4章は「ポスト印象派以降」です。
セザンヌ、ゴッホなどで、印象派から次世代につながっていく画家たちの作品を展示してます。



鶏口牛後

↑セザンヌです。
近代洋画の父と呼ばれるセザンヌは絵は上手ではありません。
デッサン力もなかったし、描いても写実的に描けません。
しかし、この作品をみてもわかるように「何か」違うという思いが出ます。
それはセザンヌがひとつの画面にいろんな角度からみた中で一番美しい視点を描いていったからです。
だからどことなくぎこちないけど、バランスがとれているような感じがするんです。
これがやがてキュビスム、つまりピカソを生み出すわけです。
物事を多角的にとらえ、その面、その面をひとつのキャンバスに描くということです。




鶏口牛後

↑これはおなじみのゴッホの自画像ですが、実は小林英樹氏の著書で「贋作ではないか?」といわれているものです。
「左利きの自画像」とも言われる自画像ですが、これはゴッホは右利きで左利きでは描けないという端的な理由ですが、末期のゴッホゆえ、左右どちらの手で作品を描いても不思議はないともいわれますが、真偽のほどはまだ分かってないようです。


ポスト印象派というと他にもピカソやマティスなど非常に個性の強い強烈な作品の画家がいますが、彼らを入れなかったことで全体がまとまってて、観やすくなってました。
作品と作品の間隔もありましたので、ゆっくりとデートで観るのも、僕のようにひとりでじっくり観るのもいいでしょう。

ゆっくりじっくり観て、作品から何かを感じ取ることが大切です。

点数も油彩画だけだと50点余りですので、じっくり観ていろんな想像をしてみて下さい。

東京国立近代美術館

鶏口牛後


ここは東京に来たら必ずいく美術館です。
常設展が充実してます。重要文化財の絵画がいくつか観られるので非常に貴重です。

今回の展覧会は「パウル・クレー おわらないアトリエ」展です。


鶏口牛後


クレーの作品は今まで何枚も見てきました。
太い線描や色彩面で構成された抽象画は難解であったり、ときには子供の絵のような印象を受けるときもあり、つかみどころのない画家です。
普通に見ると子供の絵、思いつきの発想という感じですが、この展覧会でクレーは実はいろいろなことを考え、計算し、試行していたのだということを知りました。


今回の展覧会のテーマは「おわらないアトリエ」と題され、アトリエでの創作活動を五つの街のアトリエの写真を展示しながら展開していきます。
4つのプロセスと現在と過去、合計6つの章からなってます。



鶏口牛後


まず最初に自画像がいくつかありました。
とはいえクレーの自画像なので写実ではありません。
非常にプリミティブな絵で、自画像というか壁画のようでした。


そして第1章【現在/進行形:アトリエの中の作品たち】に続きます。
ここでは5つの街にアトリエを構えたクレーのアトリエでの写真を中心に4つの街のアトリエ(ミュンヘン、ヴァイマール、デッサウ、ベルン)を紹介していきます。
アトリエが生きている、そんな感じがしました。
無造作に置かれているものは何ひとつない、すべて計算されていて、アトリエまでもアート作品にしてしまうのかと感心しました。
クレーにとってもアトリエが作品でもあり、また遊び場のような愉しさがあって、童心にかえることが出来るようなそんな場所でもあったのでしょう。
写真から受けるアトリエの印象は仕事場というカタいイメージはなく、玩具箱をあけたようなそんな不思議な空間でした。


次に大広間のような複雑な展示会場につながり、プロセスシリーズに入ります。

まず【プロセス1:写して/塗って/写して(油彩転写の作品)】です。
油彩転写って簡単にいうとカーボン用紙の要領です。
下書きした素描を、黒の油絵の具を塗った紙の上に置いて、描線を針などでなぞっていく、そうすると下に黒の油絵の具が写り(転写)、そこに水彩で色づけしていくという作業です。
なんでこんなややこしい作業をしたのか、不明ですが、クレーは単に絵を描くだけじゃなくいろんな技法を使って、絵画の可能性を追究していたんでしょう。
この探究心や向上心を持ち続けるのは、脳の構造が違うのでしょうね。
僕も人と少しだけ脳の構造というか、ちょっと違うのでその辺は少し分かります。



鶏口牛後

↑油彩転写した作品。


プロセス1をぐるぐると回りながら進んでいくとプロセス2にたどり着きます。
まるで迷路です。
【プロセス2:切って/回して/貼って(切断・再構成の作品)】
出来上がった作品を切って、それぞれを反転させたり、左右入れ替えたりして、そうしてそれらを台紙に貼り付けて新たな形で作品を完成させる方法です。
これは今では洋服の技法で用いられてますが、クレーはずっと前から再構成というのをやっていたというのに驚きました。
一度完成した作品を再構成するというのは時間を越えて、作品が生まれ変わることであり、絵画に時間の要素を取り入れたのは画期的です。



鶏口牛後

↑切り離して、貼り付けた作品です。


迷路をさらに進んで、【プロセス3:切って/分けて/貼って(切断・分離の作品)】に行きます。
プロセス2の続きで、切り離したあと、それを別々の作品にして、作品が分解され、独立していくという、これもそれまでにない発想で絵画を作っていきます。
絵画が玩具のようにバラバラになり、またそれが再構成されたり、独立して別の作品になったりするのは新たな絵画の可能性であり、空間をつかうことで絵画を別の次元に引き上げました。



鶏口牛後

↑もとはひとつの作品ですが、別々の作品として発表されました。


そしてプロセスの最後は【プロセス4:おもて/うら/おもて(両面の作品)】です。
作品を両面に描く、これは絵画が二次元から三次元へとなりうる可能性を追究しています。
普通は一面だけしか見られない、でも裏に別の作品を描くことで立体的になる。
クレーは両面作品を描くときはそれを見せるために薄い紙を素材として用いることが多く、だから表から見ても裏面が透けて見えます。
それが三次元的なんです。


鶏口牛後

↑裏の作品が見えてます。


プロセスシリーズでは絵画の可能性を追究したクレーの実験室のようでした。
絵画は科学だったのか?と思ってしまうほど、学術的であり、しかし切ってまた貼り付けてというのは子供の発想でもあり、この辺が彼の不思議なところです。

絵画の実験室での数々の作品。

無限の可能性を感じました。


最後に【過去/進行形:「特別クラス」の作品たち】がありました。
これはクレーが自らの制作における試金石的作品であったり、模範的作品であると彼が考え、次の作品を生み出す起爆剤となった作品群を紹介するコーナーでした。ここでもいろいろな試みがあり、また技法や色彩も異なっており、無限の可能性を感じました。



鶏口牛後

↑「特別クラス」の作品のひとつです。
最も絵画らしい作品で、ここからまた何か生まれていったんでしょう。




鶏口牛後

↑アトリエでのパウル・クレーです。


今回の展覧会でクレーに対する印象がガラッと変わりました。
非常に繊細で、計算され考えつくした作品ばかりなんだと。
稚拙で子供みたいな絵や意味不明な作品もすべてが自分の鋭く危なっかしい感性と情熱によって描かれている、日本では岡本太郎のような存在でしょうか。
真の芸術家、まさに彼はそういう人です。

ちなみにこの展覧会の図録、400ページ以上もあります。
パウル・クレーのすべてがつまってるような勉強本です。

この展覧会でクレーが示した「可能性」はすべての人たちがアートに関われる、そしてすべての人たちがアートのクリエーターになり得るということを証明しています。
難しい理論や技法はいらない。昔、子供の頃に遊んだ玩具のように自分で描いた絵をつかって、いろんな作品をつくってみる。
そこでの発見は自分を大いに刺戟してくれます。
自分の新たな一面を見ることにもなるでしょう。

先月の、とある土曜日、東京に到着するや否やいきなり美術館へ。
時間は12時半でした。
オークションの下見会が18時までだったので、16時に到着すればいいと思って、それまでに美術館でまずはゆっくりと。

向かったのは渋谷です。ここの東急本店横にあるBunkamuraの中の美術館。
Bunkamuraザ・ミュージアムはあまりメジャーな展覧会はないのですが、それでも良質の作品と空間演出と構成でゆっくりと展覧会が楽しめます。



鶏口牛後


鶏口牛後


鶏口牛後


今回もルドゥーテという宮廷画家であり、「花のラファエロ」「バラの画家」とも称えられ、多大な名声を得植物画家です。
写真を見ていただいても分かるようにとてもきれいな花の版画です。

しかし残念なことにこの展覧会が大幅な展示内容の変更があったことでBunkamuraザ・ミュージアムの歴史に汚点ともいうべき展覧会になりました。
この展覧会を中止にするべきだったと僕は思います。少なくとも1400円の価値はない。

どう変わってしまったのか・・・。

ルドゥーテの水彩画を中心にした構成が版画のみの構成となったので、グレードは思い切り下がりました。

震災の影響で日本で開催される外国の作品の展覧会が次々に中止になってますが、これも保険料の値上げや放射能汚染を心配した各国からの拒否によるもので非常に残念です。
いわば風評被害で国レベルの交流がストップしてしまってる状況を如実に表しているわけですから。
日本は汚染された国、そういうイメージだけでなく、それが事実として諸外国では伝えられています。

今回の展覧会はBunkamuraは苦労したと思います。その点は考慮しても、無理に展覧会をひらくと汚点を残してしまいます。

確かに花の版画144点は華麗で花の生命力をよくとらえ、非常に芸術性の高い植物画として仕上がってます。
そこは素晴らしいと素直に認めます。
しかし版画は版画です。花の版画ばかりあっても、同じような花の版画を30点も見れば飽きてきます。
花の名前もわかりにくいし、説明欄の文章も別段知らなくてもいいことばかり。
だから最後のほうになってくると感動も薄れ、さっさと見終わりたいという衝動にすら駆られました。
これがもし水彩画、つまり肉筆画なら筆遣いなどに感嘆し、いろいろ勉強となっただろうと思います。

版画144枚といってもルドゥーテの図譜から出してきたのを展示してるだけなんで、いわばカタログから切り取ったものを額装して展示してるだけの簡素なものという印象で、物足らないというより、何か違和感が残っただけでした。
Bunkamuraザ・ミュージアムでは初めて感じた「残念な気持ち」でした。

震災や原発事故があったからといって、日本を差別するようなこういう行動・行為というのは心が痛いですね。