東京出張の最終日、国立新美術館に行ってきました。
アメリカの首都・ワシントンにある美術館「ワシントン・ナショナル・ギャラリー」は西洋美術12万点を所蔵する世界有数の美術館です。
この美術館は実業家アンドリュー・メロン氏が創設し、彼の志に賛同した人々からの寄贈によって成り立った美術館です。
アメリカ国民たちが作った美術館です。
今回の展覧会ではワシントン・ナショナル・ギャラリーの所蔵する中でも特に質の高い印象派・ポスト印象派の作品の中から83点を公開。
そのうち、日本初公開の作品は50点に及びます。
特筆すべきは「常設コレクション作品」のうち、9点が含まれているということ。
常設展の貸し出しは12点までという「決まり」があるのですが、1点も貸し出さない展覧会もあるほどですから、9点の傑作が日本に来るのは稀有なことでしょう。
僕の感想としてはいい意味でまとめたという印象です。
印象派前夜ともいうべき、コローやデュプレのバルビゾン派からスタートし、印象派の父・マネ、そして印象派の巨匠たち、モネ、ピサロ、ドガ、ルノワールなど王道から、メアリー・カサットやベルト・モリゾなど印象派の女流画家の作品まであります。
ポスト印象派ではセザンヌ、ゴッホ、スーラの作品を展示。
83点と作品数は少ないですが、まとまってます。
油彩画は56点なんで、数からいうと少ないかなという印象を受けますが、大きな作品が多く、また主要な巨匠たちを網羅してるため、観やすい印象を受けました。
絵画の入門編としては最適だと思います。
ただ、去年のオルセー美術館展同様に人が多く、じっくりゆっくり観られないのが難点ですが、分かりやすい作品の数々には絵画ファンだけじゃなく、デートなどにもいいし、家族連れでも見やすいのではないかと思います。
第1章は「印象派登場まで」と題され、先述したコローやデュプレ、マネらの作品を紹介してます。
↑コローの作品です。
「バルビゾン派」と呼ばれる主にフォンテーヌブローの森などの風景画を観たまま、感じたまま描いた画家たちが19世紀に入ると出てきます。
カミーユ・コローやギュスターヴ・クールベ、テオドール・ルソーなどが有名です。
同時期にフランスではドラクロアやファンタン・ラ・トゥール、イギリスではターナー、ブレイク、コンスタブルたちロマン派やアングル、ダヴィッドを代表する新古典主義と呼ばれる画家たちも出てきて、絵画の表現が多様化する下地が出来上がりつつありました。
決定的になったのはエドゥアール・マネの登場です。
↑「鉄道」と題された作品ですが、鉄道の姿は見えません。
画面に遠近感はなく、従来の手法と全く違った大胆な構図を取り入れたことで絵画の道が一気に開けました。
↑この作品では上と両端が切り取られたような構図になってます。
日本の浮世絵の影響と思われます。
これもそれまででは考えられない構図です。
第2章ではいよいよこの展覧会の核である「印象派」の作品紹介です。
とりわけ感心したのはモネです。
カミーユと息子のジャンを描いた作品がありましたが、モネが人生で一番幸福だったときの作品です。
そのモネの家族を描いたルノワールの作品も秀逸です。
↑モネの風景画です。
実に空が広く感じます。
奥行きがあって、手前には林からもれる光が見られます。
↑モネの「日傘の女性」の3部作の最初の作品です。
この作品では妻・カミーユの表情も描かれ、息子ジャンの姿もあります。
これが1875年の作品で、カミーユが亡くなったあと、1886年に描かれた同様の作品では女性の表情はなく、子供の姿もありません。
↑僕の最も好きな画家のひとりルノワールがパリを描いた風景画です。
女性画や自然の作品を多く残してるルノワールですが、こうした都会を描いているのは初めてみました。
統一感のある色彩で見事にパリの街を描いてます。
↑ルノワールが一番得意とした女性の絵です。
背景に溶け込むようなドレスと柔らかな踊り子の表情と質感。
まさにルノワールです。
ルノワールのことはいろいろと書きたいのですが、ここでは今回の展覧会の作品の紹介にします。
↑アメリカの女流印象派のメアリー・カサットの作品です。
彼女の登場により、アメリカで印象派が広がっていったのです。
このほかにも印象派の最年長ピサロやシスレーやドガ、そして印象派を金銭面で支援したカイユボットの作品もありました。
第3章は「紙の上の印象派」と題され、版画など技術を用いて紙を媒体とした作品が26点。
これらはエッチングやリトグラフなどで僕はあまり興味がない分野なので軽くスルーするように見ました。
やはり絵画はタブローです。
油彩のマチエールなどに画家の息吹を感じますから。
第4章は「ポスト印象派以降」です。
セザンヌ、ゴッホなどで、印象派から次世代につながっていく画家たちの作品を展示してます。
↑セザンヌです。
近代洋画の父と呼ばれるセザンヌは絵は上手ではありません。
デッサン力もなかったし、描いても写実的に描けません。
しかし、この作品をみてもわかるように「何か」違うという思いが出ます。
それはセザンヌがひとつの画面にいろんな角度からみた中で一番美しい視点を描いていったからです。
だからどことなくぎこちないけど、バランスがとれているような感じがするんです。
これがやがてキュビスム、つまりピカソを生み出すわけです。
物事を多角的にとらえ、その面、その面をひとつのキャンバスに描くということです。
↑これはおなじみのゴッホの自画像ですが、実は小林英樹氏の著書で「贋作ではないか?」といわれているものです。
「左利きの自画像」とも言われる自画像ですが、これはゴッホは右利きで左利きでは描けないという端的な理由ですが、末期のゴッホゆえ、左右どちらの手で作品を描いても不思議はないともいわれますが、真偽のほどはまだ分かってないようです。
ポスト印象派というと他にもピカソやマティスなど非常に個性の強い強烈な作品の画家がいますが、彼らを入れなかったことで全体がまとまってて、観やすくなってました。
作品と作品の間隔もありましたので、ゆっくりとデートで観るのも、僕のようにひとりでじっくり観るのもいいでしょう。
ゆっくりじっくり観て、作品から何かを感じ取ることが大切です。
点数も油彩画だけだと50点余りですので、じっくり観ていろんな想像をしてみて下さい。