「俺の近所に雑貨屋をやってる爺さんがいるんだけど、もう高齢だからそろそろ誰か継がせる人を探してるんだってよ。家近いしけっこう仲が良いからさ、誰か頼りになる人がいないかって頼まれちゃってさ。それでお前を誘おうと思ったわけよ。な!悪い話じゃないだろ。」

確かに悪くない話だった。俺もそろそろ就職をと考えていたし、只の三流大学での俺にいきなり雑貨屋の店長を任せてもらえるなど、願ってもいない話だった。いつの間にか俺は満更でもない表情になり、康太がその顔を確認すると、得意げにまた口を開いた。

「火曜日がその店の定休日だから、その日のお昼に一緒に行かないか。俺が丁度いい奴がいる!って言ったら、その爺さん喜んじゃってさ、ぜひ直接会って話がしたいって言ってるんだ。な!いいだろ。」

康太はまた後尾を強めて俺を勧誘してきた。その甘い話で俺の心はだいぶ揺れ始め、それに酒を飲んでいるせいもあってか俺は簡単に了承しようとしたが、不意に俺の思考をさえぎるかのようにあいつらの顔が頭に浮かんできた。そうだ。俺が定職に就いたら、あいつらはどうするんだ。下手したら見捨てることになってしまう。ここまで関わっておきながら、いきなりあいつらを見捨てることはできない。一体誰があいつらを守ってやれるんだ。そう思うと一気に酔いが醒めて、俺はきっぱりと康太に告げた。

「悪いが、俺はやめとく。」

「え?急になんだよ。せっかくの話なのに。こんないい条件なかなかないぞ。」

「俺には十分すぎる話だと思ってる。でも駄目なんだ。このままもし俺が定職に就いたら、きっと俺はあいつらを守ってやれないんだ。仕事はおろそかにできないし、あいつらと過ごす時間も作ってあげられない。だからこの話断るよ。」

俺はゆっくりと言葉を選び、真面目に淡々と断った。それでも康太はまだやりきれないような顔をしていた。

「まだあの子達の面倒見てるのか…。それでも、今のままじゃって気持ちもあるんだろ。」

「それは思ってるよ。でも、あいつらのことを考えたらまだできないと思う。」

「まだっていつだよ。」

康太の声に少し熱が篭ってきた。

「わからない。」

「わからないって…そんなんじゃ、いつまでたっても定職に就けないだろ。」

「かもな。でも、俺はあいつらを見捨てるわけにはいけないんだ。悪いけどもう行くよ。今日は誘ってくれてありがとな。」

静かにそう告げると、俺は財布から出した1万円をテーブルに置いて出口へ向かった。

「和也!ちょっと待てよ!」

康太は声を荒げて追いかけてきた。

「お前はいいのか、それで!今動かないと一生このままだぞ。一回爺さんに会って話だけでもきかないか!なあ!」

康太の必死の呼びかけにも反応することなく、俺は一度も振り返らないでそのまま店を出た。外はだいぶ寒くなっていた。吐く息が白くなるほど気温は下がり、俺は手が冷たくならないように手袋を装着して、自転車に乗って家へと向かった。乗り始めた頃には康太の叫びも届かなくなっていた。