昔に比べると、聴覚障害者を取り巻く環境は一段とバージョンアップした。


社会に手話への理解が広まっていること。

学校に、「手話」「聴覚障害者」にふれあう時間が導入されていること。

社会福祉フェスティバルなどがかなり開催されていること。

手話通訳、要約筆記のステータスが上がってきていること。

運転免許取得にかかる制限が2年後には撤廃されること。


完全にとまではいかないが、かなり暮らしやすくなっているのは確か。


ろう教育においても

ろう学校・普通学校卒→大学への進学率が増えたこと。

手話の導入が普及してきていること。


大きな変化が見られていて、福祉面や文化面、教育面において絶えず理解を求め運動し続けてきた当事者(ろう者・手話通訳者)にとっては、明るい未来が次第に近づいていると強く感じている。


それでもなお、まだまだ残る差別や偏見、不平等と戦い続けている。


ところが。


「手話、手話だけでもねぇ(手話だけでは無理なのでは)」

「社会に出たら、もっと大変になるのはこの子だから」


聴覚障害児を持つ親にとっては

こういう見方をする人もいるようだ。


こういうズレがあるんだ…

と最近、気がついた。


私たち、ろう者には

また活動をしているろう者には

希望が見えている、希望があると強く感じているけど


ろうあ運動の歴史を知らないからなのか

親がろうの世界に触れるのは、自分の子供と学校という範囲内に限られているからなのか

親自体が聴者という多数社会にいるからなのか

聴者の視線で見てしまう、比べてしまうからなのか


子供の行く先や社会状況に不安や心配を感じるようだ。


社会を変えるだけではなく

聴覚障害児をもつ親の、

「ろう者」に対する意識向上をはかる必要があるのでは?


手話通訳者においても

ろうあ運動に携わる聴の関係者においても

自身の子供が聴覚障害者をもつ親って


気がつけば

あまりいない。


もっと

ろう者を信頼してほしい。

「ろうだから無理」

そんな見方を頭からはずしてほしい。


まだまだ

戦いは続くな。


そう思った春の夜でした。