『謹賀新年』

『あけましておめでとうございます』


などと始まる、年賀状について、思うことを述べます。


ここ数年で、年賀状のやりとりが随分と減ってしまっている。

いわゆる年賀状じまい、というものだ。

当然、こちらから送る枚数も減っている。


今年送られてきた年賀状の中にも、

『本年を持ちまして年賀状での挨拶を控えさせていただきます』

などと記されたものが何通もある。


『わしゃ、嫌われものか』、と千鳥の大悟の語調で言いたくなる。


いや、これらの多くは、昔少しだけ一緒に働いたことのある人たち、というケースが多い。確かにもう何年も会っていないし、今後一緒に働く可能性はゼロに近い人たちだ。


ただ、自分は古い人間なので、これを本当に寂しく思う。

子どものころ、年賀状が来るのが、お正月の楽しみのひとつだった。あまりしゃべったことのないクラスの女の子から突然年賀状が来て、ドキドキしたことがあった。


大人になってからは、交遊関係が増えた一方で、長く会わなくなった人も増え、年賀状だけで繋がっているなんて人もたくさんいる。

でも、年賀状のやりとりがなくなったら、いよいよ完全に縁が切れてしまうような気がして、さびしい思いがする

『今後はメールやLINEで』と書いてある場合もあるが、その人からメールやLINE をもらったことはないし、アドレスも知らないし。


つい年末に、毎年恒例の忘年会で会ったばかりの旧友たちは、年賀状を欠かさず送ってくれる。もちろんこちらの賀状も欠かしたことはない。いずれ、この友人たちのように、本当に親しいもの同士の年賀状だけになる気がする。


ただ、時代は繰り返すものである。最近になって、レコードが流行ったりするように、年賀状文化も年賀状を知らない世代から再来するかもしれない。




自分は面白いと思っている。まったく知らなかった長崎の孤島の歴史を感じることができるし、宮本信子演ずるいづみが、実は誰であったか(池田イライザ、杉咲花、土屋太鳳??)考えさせるところもおもしろい。

ただ、視聴率はあまり良くないらしい。