無題全部が嫌になった。テレビを観る事も、食事を取る事も、酒を飲む事も、タバコも欲しくない。誰とも話したくない、一人も嫌だ、何処にも行きたくないし、部屋に居るのは嫌だ。終焉の入り口には誰も居そうにない。静かに通り抜けるのだろう。もうなにもいらない
無題人の生活、もっと言えば人生は己が器を満たす事なんだろう。その課程にうっかり溢したなら、注ぎ足し満たす。その勢いは様々なれど、少しずつ進む人、勢いにまかせ一気の歩みの人もある。良き人なれば器をそっくり大きな物と変えたりもあるのだろう。今、己が器を眺める。空だ先日にその全てがこぼれ堕ちた。最早その器すら姿をとどめてはいない。水源は無く、汲みおく器すら失なった今、ただただ途方にくれる。誰かにさわりたい、そっと側に居て欲しい。