「醜聞」(芥川龍之介『侏儒の言葉』より 出:青空文庫) | Market Cafe Revival (Since 1998)

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四つの単語でできた言葉の中で、最も高くつくものは「今度ばかりは違う」である(This time is different.)。

 
醜聞

公衆は醜聞を愛するものである。
白蓮事件、有島事件、武者小路事件
――公衆は如何にこれらの事件に無上の満足を見出したであろう。

ではなぜ公衆は醜聞を――殊に世間に名を知られた他人の醜聞を愛するのであろう? グルモンはこれに答えている。
「隠れたる自己の醜聞も当り前のように見せてくれるから。」
グルモンの答は中っている。が、必ずしもそればかりではない。



醜聞さえ起し得ない俗人たちはあらゆる名士の醜聞の中に彼等の怯懦を弁解する好個の武器を見出すのである。
同時に又実際には存しない彼等の優越を樹立する、好個の台石を見出すのである。
「わたしは白蓮女史ほど美人ではない。しかし白蓮女史よりも貞淑である。」

「わたしは有島氏ほど才子ではない。しかし有島氏よりも世間を知っている。」
「わたしは武者小路氏ほど……」――公衆は如何にこう云った後、豚のように幸福に熟睡したであろう。



天才の一面は明らかに醜聞を起し得る才能である。



A Man of Great Promise (The Style Council 1985年)




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