どうやら本当の危機がどこにあるのか気づき始めた日本経済新聞 | Market Cafe Revival (Since 1998)

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四つの単語でできた言葉の中で、最も高くつくものは「今度ばかりは違う」である(This time is different.)。


> 上場企業4~9月、増収増益10社に1社、顧客ニーズつかむ。
2009/11/13, 日本経済新聞 朝刊, 3ページ

> お得感 新市場 独自技術
> 景気低迷が業績を圧迫するなかでも、順調に収益を伸ばしている企業がある。日本経済新聞社の11日までの集計によると、2009年4~9月期に増収経常増益となった上場企業は201社と全体の1割に上った。好調企業の共通点を探ると、「お得感」「新市場」「独自技術」のキーワードが浮かび上がる。
> 対象は11日までに4~9月期決算を発表した金融を除く全上場企業1995社。4~9月期に加えて10年3月期通期も増収増益を見込んでいる企業は151社に達した。全体では4~9月期は前年同期比2割超の減収、約6割の経常減益の中で、健闘ぶりは際立つ。好調企業にはサービスや日用品、医薬品など内需関連が多く、とりわけ、消費者の節約志向をとらえた企業が目立った。

> レンタルや低料金人気
> 和服大手の京都きもの友禅は振り袖のレンタルサービスがけん引役だ。4~9月期の取扱件数は前年同期比約6割増えた。新品を買うより約8割安く済むことや保管スペースが不要な点が受けているようだ。「若年層ほどレンタル志向が強い」(斉藤慎二社長)。振り袖の市場規模は縮小しているが、レンタルを武器に需要を掘り起こしている。
> ゴルフ場運営のアコーディア・ゴルフは低料金サービスをテコに上期としては2年ぶりに増益に転じた。キャディーをつけないセルフプレーや平日早朝の格安プレー、レストランの値下げなどを実施。シニア世代の余暇需要を取り込み、入場者数は405万人と6%増えた。ゴルフ場の運営コストも抑制した。
> 飲食店紹介サイトを運営するぐるなびは、手ごろな飲食店を探す消費者のニーズを取り込み、外食不況の中でも最高益を更新。加盟店が約4万9000店と豊富なのがサイト訪問者の増加につながっている。飲食店向けにメニュー開発や従業員採用などの経営支援サービスを提供、囲い込みを進めたのが奏功した。
> 好調企業の2つ目のキーワードが新市場の開拓だ。国内で培ったノウハウを海外でも応用したり、主力商品の販路を新たな顧客層に広げたりすることで、市場縮小にも負けず業績を伸ばした。

> 主力商品の販路広げる
> 包装用フィルム大手の大成ラミックは化粧品や健康食品向けの商品包装材を伸ばしている。従来は一般食品向けが主力だったが、約5年前から一般食品以外の企業との取引を強化。健康ブームを追い風に、デザインなどで他社との違いを打ち出し受注を拡大している。
> 殺虫剤大手のフマキラーは、国内で縮小傾向にある蚊取り線香の販売をアジアで伸ばすなどで、売上高が8%増加した。主力のインドネシアでの売上高は4~9月期に現地通貨ベースで2割増えた。線香のばら売りなどの取り組みのほか、ジャワ島では未開拓だった零細店へも営業活動を始めた。
> 4~9月期に最高益を更新したユニ・チャームの原動力となったのは、中国やインドネシアなどアジアの新興国事業だ。参入当初は高所得者層向けおむつなど高機能品が主力だったが、現在は急拡大する中間層に狙いを定める。インドネシアに続き中国でも中間層向けの低価格品を発売する。インドでも工場を建設中だ。

> 性能や品質内外で評価
> 3つ目のキーワードは独自技術だ。顧客が費用の制約から性能や品質で厳しくふるいにかけるようになり、技術力のある企業が優位になりやすい。
> 橋梁(きょうりょう)最大手の横河ブリッジホールディングスは、国が入札の際に技術力をより重視する「総合評価方式」へ移行したことで、競争力を発揮した。公共工事全体が減少傾向にあるなか、大型工事など好採算案件を数多く受注できた。橋梁工事は「フル生産に近い」(同社)といい、大幅増益となった。
> 日本車両製造は新幹線向けの新車両「N700系」が業績を押し上げている。東海旅客鉄道(JR東海)などと共同で、時速300キロで高速走行しながら、客室内の静粛性や快適性を高めた車両を開発。JR東海向けに納入が進んでおり、工場はフル生産の状態だ。
> ブイ・テクノロジーは工場を持たないファブレス方式で液晶パネル向けの検査関連装置を手掛ける。画像処理などの技術を武器に、回路パターンの欠陥を高精度で検出するといった装置を展開。液晶メーカーの設備投資が拡大している中国で受注を伸ばし、4~9月期の経常利益は前年同期の4倍に膨らんだ。

☆ 上記記事は一見すると「産業部」が書いた記事に見える。しかし内容をよく読むと,あまりにも好材料に反応しない株式市場のヒントにならないかという狙いを感じさせるものがある。3月決算企業の第2四半期決算が大方出揃い,それを前提としているのだが,あくまでも投資の視点で捉えてみると,景気判断やマクロ経済指標からは見えてこない個別材料を取り上げていくべきという判断が日経の中で働いても仕方が無いほど,本邦の株式市場は「死んでいる」。言い換えればこの記事は「株式の死」を前提に,見えてこないものを探し出す努力の一つと考えてもおかしくない。もちろん個別株をよく見ればすでに「手垢」がついているものが殆どで,記事の出し手の「思い」を素直に受け入れるほど市場は純情ではないとも言えるのだが。

> くりっく365で「30秒間急落」――「安全な取引所」不備露呈(ニュースの理由)
> 2009/11/13, 日本経済新聞 夕刊, 2ページ
> 東京金融取引所(金融取)の外国為替証拠金取引(FX)「くりっく365」で、日本時間10月31日早朝、南アフリカの通貨ランドが瞬間的に異常な安値を付ける出来事があった。思わぬ損失を被った投資家からの批判を受け、金融取は約1週間後、救済策となる反対売買に応じることにしたが、安全性が高いとされてきた取引所取引の意外な「不備」が露呈した格好だ。
■  ■
> 「一種のストップ狩り」――。31日午前4時59分33秒、それまで1ランド=11円台だった相場がいきなり8円40銭台に急落したハプニングを受け、投資家からはこんな不満の声もあがった。
> ストップ狩りとは、瞬間的に相場を安値に誘導し、顧客のストップロス(損失拡大を防ぐため一定の安値になったら自動的に売る機能)を作動させること。相対で取引する店頭のFXでは、この操作で顧客から安値で買い、高値で売って稼ぐ業者も一部にいるとの疑惑がささやかれてきた。
> 一方、くりっく365ではマーケットメーカーと呼ばれる金融機関5社がレートを出し、取引所がそれを基に投資家に最も有利な買値と売値の組み合わせをつくり、提示する。多くの金融機関が関与し、取引所も介在するので不当な操作はしにくいとされてきた。金融取も「健全性と透明性」を売り物にしてきた。
> だが今回は異常な値が約30秒間付き、投資家は損失確定を余儀なくされた。悪質なストップ狩りと似たものと受け止められても無理はない。
> 金融取によると、マーケットメーカーの1社が極端に安い買値(投資家にとっては売値)を示し、他の金融機関の提示がなくなった時点で、金融取の提示値として採用されたというのが急落に至る経緯だ。金融取はこのマーケットメーカーから、不当に利益を得るためのレート操作ではなく、リスク回避のための措置だったと説明を受けているという。
> 市場実勢から外れた買値を示したのは独コメルツ銀行とみられているが、リスク回避が狙いだったとすれば、背景には30日の米市場での株価や為替の急変動などがあった可能性がある。大幅に安い買値を示しておけば、仮にランド相場が急落したときも、実勢より高い価格で投資家からの買い取りを迫られる心配はないというわけだ。
> とはいえ、あまりに実勢と離れた水準。それを排除しなかった金融取の対応には問題がある。「異常な水準の提示は市場に流動性を供給する役割を担うマーケットメーカーの行為としてふさわしいのか」(あるFX業者幹部)という声もあがる。そうした会社を採用した金融取の判断の是非もあわせて問われそうだ。
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> 店頭取引では手数料無料が普及するなか、くりっく365の利用者は手数料を払うのが普通。「健全で透明」という理念を信じての出費だろう。信頼を取り戻すためにも、真相の究明とともに異常なレートを確実に排除するシステムの整備とマーケットメーカーへの指導の徹底が急務だ。(編集委員 清水功哉)


☆ この記事は二重に「深い」。FXが一部の出鱈目な「業者」や「投資顧問業者」へ次々と出されるレッドカードでかなり整理し始めてきたとはいえ,市場の根本に「欠陥」をまだ抱えていること。「マーケット・メイク制度(およびマーケット・メイカーの責任)」への強い不信感を惹起させることがそのひとつ。そしてそこから「反射」されることは「くりっく365」を推進してきた「金融取」のトップが,最近日本郵政のトップへ転進した人物であることである。決して「記事」はそうは言わない(書かない)。しかし,勝手にそう読み始める者もいるということだ。

☆ しかし「問題」なのは,制度に内在する欠陥を悪用する者は「何とか詐欺」だけでなく市場全体に巣食っているという事実のほうである。精錬足上などというものは効率的市場よりも難しいことはわかっているが(笑),問題を予見する力やそれを提起する力も無く「事実」ありきの検証報道で(無いよりマシとは言いながら)本当に市場に対する信頼が戻ってくるのか。むしろそのことこそ問われるべきではないのだろうか?