大和の木野内氏が賛同していた「大機小機」 | Market Cafe Revival (Since 1998)

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四つの単語でできた言葉の中で、最も高くつくものは「今度ばかりは違う」である(This time is different.)。

> さて、本日の日経新聞市況面のコラム「大機小機」では、金融規制は『欧米が独自に規制強化すれば済むはず』と日本が盲従してはならないと警鐘を鳴らしている。同じペンネームで、『時価会計見直しは正しい選択』(2009/03/31)、『サブプライムの根源はBIS規制』(2008/08/13)と、先導的な主張を述べられてきた。小職としては、我が意を得たりとの思いがある。ご一読されたい。


世界金融改革に日本の主張を(大機小機) 2009/07/29, 日本経済新聞 朝刊, 19ページ


> 金融危機に対応する規制改革に関して米英や欧州連合(EU)から大幅な規制強化を目指す提案がなされている。今後それらの提案は国際的規制にも及ぶとみられる。

> そもそも現在の金融危機は、金融産業の競争力強化を狙って過度に規制を緩和した欧米が発生源である。欧米がそれを反省して自国内の規制改革を目指すのは当然である。しかし、規制緩和に一歩距離を置いて問題が発生していない日本やアジア諸国にも欧米基準で強化された規制を適用するのは筋違いである。

> 自己資本比率規制は1980年代後半に世界市場を席巻した邦銀の拡大抑制を狙って、英米中央銀行の主導で導入された。以来、この規制は国際的銀行規制の柱となった。米国金融危機は、それが過大な貸し出し防止にも国際金融システムの健全化にも無力だったことを明らかにした。
> だが、現在欧米で提案されている改革案は、この自己資本比率規制の一層の強化が中核である。この規制で最も深刻な影響を受けた国は、バブル崩壊後に銀行の貸し渋りを生んで、「失われた90年代」を経験した日本である。これこそいま、世界的に問題となっているこの規制のプロシクリカリティ(景気変動拡大効果)にほかならない。

> 米国金融機関のように自己資本が公的資金でかさ上げされていたり、連結基準があいまいなままであったりするなど、規制にはいくらでも抜け道がある。自己資本は会計上の概念で、実際の資金は貸し出しに使われているから、損失補てんに役立つわけでもない。必要なのは高い流動性を保つための規制である。
 
> 国際的一律規制は、規制の緩い国に取引が移動して世界全体のリスクを高める事態を防止するために必要とされる。だが、最も規制が緩く高利潤を求める取引が集中して、世界的危機を引き起こしたのは欧米であるから、欧米が独自に規制強化すれば済むはずである。
> 金融に関する国際的規制・監督は、問題が発生したときには各国政府が財政支出によって国ごとに個別に対応せざるを得ない事柄である。それならば、規制も各国政府が独自に責任を持って制定すべきであろう。日本は危機克服の経験を基礎に世界の規制改革を主導すべきだ。国際的合意の名の下に自己資本比率規制導入に追従して「失われた10年」を生んだ轍(てつ)を踏んではならない。 (桃李)

☆ 感想めいたものを書かせてもらえば,1990年代はデ・ファクトの先陣争いの時代だったといえる。桃李氏が指摘しているBIS規制然り,お馴染みのCOSO(内部統制)モデル然り,会計屋の世界標準然り,そして基準の王様と化したISO然り!

☆ マイクロソフトやインテルのような私企業がこれをやると欧州委員会の鉄十字の女(解からない人は「欧州委員会 クルス」で検索されたし)が早速出てきて「カルテルだ」と喚きちらすが,何の事はない自分達こそそうした「規制・基準」の囲い込みをやっている。もちろん経済だけではない。スポーツのルールだってこの類の改変は日常茶飯事だ。だから桃李氏の言うように「堂々たる論陣」を張るべきだが,官僚と会計屋を筆頭に,まずもって「人材の払底著しい日本」において,この任を担えるべき人材がいないことが嘆かれる(としか書きようがない)。

PS.カブコムは明日徹底的にぶっ叩くから覚悟しておくように。